IC58-1
〈現在〉を考える
こどもたちに語るモダン/ポストモダン
[掲載日:]
「現代」「近代」「ポスト近代」はどうちがうのか。
歴史を振り返り、調和されることのない諸力の束として息づく「現在」への入門。
浅田 このシンポジウムは大学の新入生歓迎行事の一環ということなので、できるだけ予備知識を前提とせず、基本的な話をすることになっています。一般の聴衆もおられるので、その方々にも面白がっていただけるような話をするのはなかなか難しい。とはいえ、話し相手に美術家の岡崎乾二郎さんという強力な援軍を得ましたので、「現在を考える」といういささか抽象的なタイトルのもと、いまものを考え、作っていくというのはどういうことなのか、とくに新入生のみなさんにとって、しかしまた誰にとってもヒントになるような話ができればと思っています。
モダンとポストモダン
まずこの「現在」あるいは「現代」という言葉をどう考えるべきなのか。これに似た言葉として「近代[モダン]」という言葉がある。それから「近代」が20世紀に形式化・形骸化されたことをふまえて、「ポスト近代[モダン]」という言葉もある。またこれらとは別に「同時代的[コンテンポラリー]」という言葉もある。これらの関係をどう捉えたらいいかという基本的な問題から始めましょう。
まず、「古代(ancient)と「近代(modern)」という区分/対立がある。17世紀のいわゆる「古近論争」で出てきたものです。古典主義[クラシシズム]においては、古典古代が規範とされる。西洋で言うとギリシア・ローマの古典ですね。近代はそこから墜落した、そこで古代の範例に戻ろう、というのが古典主義です。とはいうものの、古典古代そのものに帰ることはできないので、「新古典主義」あるいは「擬古典主義」というように古典古代を模倣するということにならざるを得ないわけですね。それに対して、さっきの「古近論争」のころから、むしろ近代的なものにこそ価値があるのだという考え方が出てきます。古いものを破壊して新しいものを作る、その新しいものもいずれ古くなって形骸化するので、それも破壊してさらに新しいものを作る、と。例えばXはプレX(Xに先立つ何か)を乗り超えて登場するのだけれど、結局それもポストX(Xの後の何か)によって乗り超えられていく、という図式です。これは、近代科学技術の論理、またそれを応用した不断の創造的破壊によって前進する近代資本主義の論理と同型なので、近代資本主義の時代にこのような広義のモダニズムが支配的なイデオロギーになったのは不思議ではありません。例えば19世紀西欧の美術を見ても、新古典主義に対してロマン主義が出てくる、そのロマン主義に対してレアリスムが出てくる、そこから、印象派、ポスト印象派へ、というような流れが支配的になるわけで、それは20世紀に入ってさらに加速されることになります(こうした単線図式はずいぶん前から相対化されてきていますが、それについては後で触れます)。
ところが――教科書的な復習ばかりしていてもきりがないので、あえて現代に飛躍すると――20世紀の最後のクォーター、象徴的に言えば1968年以降になって、そのような広義のモダニズムがある意味で頓挫するという事態が起こりました。そもそも、重厚長大産業を中心に大量生産・大量消費を繰り返して前進してきた資本主義が一定の限界に達するとともに資源や環境の制約と直面する。そこで、生産力の構造も、情報科学や生命科学を中心とする方向、外延的拡大よりも内包的展開の方向へと移行し、生産様式全体も、フォード主義(労働者が工場におけるテーラー・システム的な管理に服従し、代わりにそれによってもたらされる生産性向上の果実を資本家とシェアする)などと呼ばれる段階から、記号論的演出によって消費を活性化することで経済を引っ張っていく段階に移行する。他方、その資本主義を乗り越えようとする運動自体も、大工場の労働者の組合の連合を前衛党が指導するという古い共産主義・社会主義(これは1989年/91年の東欧民主化と旧ソ連崩壊で決定的な打撃を受けることになる)から、反核・平和運動、環境運動、女性運動といったいわゆる「新しい社会運動」に重点が移っていく。総じて、産業資本主義の進歩と成長の論理が、内外から批判に晒されることになったんですね。そこで、モダンなものそれ自体に価値を認めて前のめりに前進する運動を止揚するといった意味で、ポストモダンという言葉が登場し、1970年代以降に流行したわけです。
あえて表面的な言い方でいきますが、19世紀から20世紀にかけてのモダニズムは、各々のジャンルが自己批判を通じて自己純化する、つまり各々のメディウム(媒体)に特有――メディウム・スペシフィック――な表現に向かうという論理で動いていた(というか、イマニュエル・カント=クレメント・グリンバーグの考え方を単純化すればそういうことになる)。絵画に歴史的様式性はいらない、装飾性はいらない、いや写実性すらいらない、とにかく平面上の形態と色彩のコンフィギュレーション(布置)があればそれで足りる、いや、じつはそれすら必要ない、真っ黒な四角でもいいし真っ白な四角でもいい、さらに、それで絵画が終わったと言うけれど、キャンヴァスを切り裂いたものだって絵画だ、そのキャンヴァスもいらない、何もないところにコンセプチュアルなメッセージさえあればいい、と。こうやってどんどん「不純物」を捨てていった結果、1960年代の終わりにはミニマル・アートやコンセプチュアル・アートを経て、もう捨てるものが何もないという零地点に近づいていたんですね。それに対して現われたポストモダニズムというのは、一回捨てたはずの不純な要素――様式性、装飾性、写実性といったさまざまな要素をあえてゴミ拾いのようにリサイクルしてきて、わざと不協和になるようにコラージュしてみせる、といったものでした。例えば、ネオエクスプレッショニズムの絵画ですね。20世紀には何度も「絵画の死」が宣告されてきたにもかかわらず、20世紀の最後のクォーターにもなって、わざわざ具象的な絵を描いてみせる、しかも「バッド・ペインティング」などと言われたように、わざと悪ぶって描いてみせるわけです。あるいは建築でも、自己純化していったあげく、鉄骨とガラスの直方体のビルができ、さらには「見えない建築」などと称して形のないサイバネティック・エンヴァイロンメント(情報環境)こそが建築なのだとか言っていた――これは日本で言えば1970年の万国博覧会の「お祭り広場」(磯崎新)のヴィジョンです――、それが突然、ミケランジェロやルドゥーの断片からわざと不協和なコラージュを作ってみせる「つくばセンタービル」(磯崎新)のようなものへ、あるいは、もっと商業的な例で言えば、昔風の列柱に支えられた装飾的なファサ—ドの上にチッペンデール風のスプリット・ペディメントがついたニューヨークのAT&Tビルディング(フィリップ・ジョンソン)のようなものへと転回するわけですね。こうしたかたちでのポストモダン・アートやポストモダン・アーキテクチャーが、消費社会の記号論的演出の舞台装置として、20世紀の最後のクォーターに流行したわけです。
ところでよくよく考えてみれば、モダニズムが行き詰まったから次はポストモダニズムだという考え方は、それ自体まったくモダニズム的な考え方なんですね。さっき言ったとおり、プレXを乗り越えて出てきたXがさらにポストXによって乗り越えられるというのがモダニズムの基本図式ですから。つまり、モダニズムの次にポストモダニズムが来ると言ってしまったとたん、それは典型的なモダニズムの言説だということになる。逆に、本当にポストモダンということが言えるとすれば、それはそうしたモダニズムの単線的進歩図式自体を疑い、重層化・相対化していくことからしか始まらないでしょう。
1848/51年
そこで歴史に戻って考えてみましょう。歴史はいま言ったような単線的図式に収まるものではなく、つねに複雑きわまりないものです。ただ、一応、1848年あたりをメルクマールとして狭義のモダニズムが始まったと考えられるでしょう。この前にフランス革命があって、一応、民主主義的な共和国が成立し、その理念がナポレオンによってヨーロッパ世界に広げられていったわけです。へーゲルはそれをもって歴史が終わると考えた。ちなみに、1930年代にパリでヘーゲル哲学を講じていたアレクサンドル・コジェーヴは、はじめはナポレオンならぬスターリンの勝利によって、次にはアメリカ資本主義の勝利によって歴史が終わると考えており、コジェーヴの孫弟子にあたるフランシス・フクヤマは、1989年の「歴史の終わり?」(『ナショナル・インタレスト』夏季号)で、それがいまこそ現実化するのではないかと考えていた。歴史とは闘争(とくにイデオロギー闘争)の歴史であるとすれば、1945年に全体主義が脱落し、1989年に社会主義が脱落して、資本主義が勝ち残ることで、闘争は終わる、つまり歴史は終わる、というわけです。とすれば、後は(ポストモダンよりさらに広く言って)ポストヒストリカルなニルヴァーナが続くばかりだ、と。この予言がまったく間違っていたことは、旧ユーゴスラヴィア紛争から二度の湾岸戦争に至る現代史の激動、冷戦という歴史の宙吊りが解けたような歴史の激動を見れば、誰の目にも明らかでしょう。
しかし、もういちど19世紀の時点に戻りましょう。フランス革命とナポレオン戦争により、自由と民主主義の理念がヨーロッパ世界に広がる。しかし、みんなが自由に競争しはじめると、社会の有機的な紐帯が失われ、個がアトムのように浮遊するアノミー状況が、萌芽的なかたちにおいてではあれ、生じてくる。それを乗り超えようというのが1848年の革命だったわけです。そこでは、自由と並んで、平等が強調され、さらには友愛(この「フラテルニテ(兄弟愛)」という言葉は最近では「ソリダリテ(連帯)」というジェンダー・フリーな表現に置き換えられましたが)が強調される。具体的には、組合などのアソシアシオン(アソシエーション)を作り、多少とも宗教的な色彩を帯びたそれらの有機的紐帯によって近代がもたらしたアノミーを乗り超えようというわけです。疎外とその克服[リアプロプリエーション]という疎外論の物語、いわゆる空想的社会主義やロマン主義の物語ですね(むろんロマン主義全体をそういう単純な物語に還元することはできませんが)。こういう物語の盛り上がりの中で、1848年革命が起こる。イマニュエル・ウォーラーステインによれば、それは最初の世界革命であり、また1968年と対応する革命でもありました。しかし実際には、ほとんどの国で革命は失敗してしまいます。例えばリヒャルト・ヴァーグナーは、ドレスデン蜂起の後、お尋ね者になって亡命生活を送り、最後にはバイエルン国王をパトロンとして神話的さらにはキリストな世界へと回帰する。ロマン派の転向の典型というか、――転向を含めたロマン派の典型です。他方、フランスではいちおう革命が成功して第二共和制が成立するのだけれども、そのわずか三年後にはナポレオンの甥だという以外に何の取り柄もない人物、とはいえ社会主義の中でもサン=シモン派に近かった人物によってその成果が簒奪され、第二帝政が成立してしまう。そこでは、疎外論の物語、空想的社会主義やロマン主義の物語はすべて空疎な紋切型になってしまい、むしろメディアを駆使した情報操作こそが支配的になる。蓮實重彦の言う「紋切型」の時代、「帝国の陰謀」の時代です(ここで蓮實重彦が1848/51年後の状況と1968年後のポストモダン状況を重ね合わせていることは言うまでもありません)。
しかし、真のモダニズムというのは、じつはその後に出てくるんです。典型な例で言えば、ギュスターヴ・クールベやエドゥアール・マネ、シャルル・ボードレールやギュスターヴ・フローベールといった人たちですね。もちろん、クールベでもボードレールでも革命に参加してバリケードでパンフレットを撒いたりしていたわけですが、それは挫折します。しかし、そこで、亡命したロマン派の巨頭ヴィクトル・ユゴーのように情熱と怨恨に溢れた物語を語るのかというと、そうではない。例えばクールベの《オルナンの埋葬》(1848)という名画がありますが、真っ黒なコートを着た貧しい農民の葬列が描かれるだけで、物語としての盛り上がりはまったくないそれが、しかし、ダヴィッドの《ナポレオンの戴冠式》のようなスケールで描かれるわけです。何の変哲もない農民の葬列をひたすらリアルに描くことで《ナポレオンの戴冠式》よりも偉大な絵画を生みだすというのがクールベのモダニズムなんですね。それは、ロマン派の巨頭ドラクロワが1830年革命を描いた《民衆を率いる自由の女神》の鮮烈な物語とはまったく異質です(ちなみに、19世紀美術を収蔵するオルセー美術館のコレクションを《民衆を率いる自由の女神》から始めるか[ジスカール=デスタン]、《オルナンの埋葬》から始めるか[ミッテラン]というのは、現代の政治問題でもあったことを想起しておきましよう)。このように、クールベがいわば物言わぬ物質性に向かうとすれば、マネもまた物言わぬ表面性に向かう。官能的に語りかけてくるはずの女性像も、ジョルジュ・バタイユの言う「無関心[アンディフェランス]」を帯びた、平面的な像になってしまうわけです。言い換えれば、彼らは18世紀から19世紀にかけて支配的だった「美」と「崇高」の物語を突き抜けてしまったとも言えるでしょう。「美」とは有限な世界の中でのさまざまな差異の戯れが目を楽しませてくれるというものであり、「崇高」とはそのような有限な世界を突き抜ける無限の深淵に戦慄し、しかしそのことでむしろ意志を鼓舞されるというものです。表象の戯れと、それを突き抜ける意志の激発ですね。その意味で言えば、ロココの「美」が無効になり、ダヴィッドやドラクロワが謳い上げた「崇高」もまた無効になった段階で、美しくも崇高でもないリアルなものが、クールベやマネによって提示されたわけです。このようなクールベやマネこそが、近代絵画を近代絵画として立ち上げたんですね。ほんの一例を瞥見しただけではわかりにくいかもしれませんが、疎外を乗り超えて新しい有機的秩序を目指すといった物語からモダニズムが始まったのではなく、そのような物語が挫折の後、紋切型となってアーカイヴの中にうず高く積まれている段階、ある意味でポストモダンな段階から、モダニズムは始まっているわけです。「ポストモダン」という言葉を有名にしたのは、ジャン=フランソワ・リオタールの1979年の著書『ポスト・モダンの条件』(邦訳=小林康夫訳、水声社)という本ですが、リオタールは後に『こどもたちに語るポストモダン』(邦訳=管啓次郎訳、筑摩書房)という本の中で、ポストモダンなものこそがモダンなものとなりうる、したがってまたポストモダンなものはモダンなものに属している、と言っています。これはまず、同時代の地平としてのモダンなものの後に来るもの(現時点のモードを乗り超えるもの)、その意味でポストモダンなものこそがモダンとなりうる、という意味でもありますが、われわれとしてはそういう当たり前の意味を超えて、いま見たような歴史的な意味でも、リオタールの定式を捉え直しておきたいと思います。そこから振り返ってみれば、XをポストXで乗り超えるという進歩と前進の物語がモダニズムだという最初に言った捉え方は、じつは表層的な捉え方にすぎないんですね。逆に言えば、20世紀の終わりになってそういう単線的な進歩図式で考えられていたモダニズムが行き詰まったから、じゃあ次はポストモダンだと考えること自体、まったくおかしいということがわかる。そもそもモダニズム自体がポストモダン状況から発生したのであり、ポストモダンなものはモダニズムの中に含まれているということをあらためて考え直す必要があるでしょう。
ちなみに、日本では西洋美術史研究でもクールベやマネの後に出てきた印象派に光が当たってしまい、ク—ルベやマネのあたりが手薄になっているんですね。例えばそのあたりに関するT・J・クラークの実証的研究は決定的に重要だし、それに対してマイケル・フリードが違う角度からのアプローチを試みたりもしているわけだけれど、それらがきちんと受容されているとはとても思えない(岡崎さんと編集した『モダニズムのハード・コア』(太田出版)という論集ではそのことを意識してクラーク/フリード論争を取り上げているのだけれど、それをきっかけに彼らの仕事が本格的に紹介されるということはなかった)。その結果、かつては印象派からセザンヌを経てキュビスムへという単線的な進歩史観が支配的だったし、いまはそういう進歩史観に抑圧された「忘れられた画家たち」に光を当てると称して、サンボリスムが面白いとかアール・ヌーヴォーが面白いとか言っている。それは、しかし、進歩史観の裏返しにすぎない。進歩史観が支配的だったときそれに対抗するというのはまだ理解できるとしても、進歩史観が無効になって四半世紀以上も経つというのにまだそんなことばかりやっているわけです。確かに、いまさらクールベやマネについて、あるいはセザンヌやピカソについて書くことはきわめて難しいのに対し、「忘れられた画家たち」を再発見するのは、地道に調べさえすればいいんだから、馬鹿でもできる。そういう努力の成果が学会には満ちあふれています。アカデミーにおけるポストモダン状況ですね。しかし、重要なのは、形骸化したモダニズムの進歩史観でも、それを裏返してみせるリヴィジョニズムでもなく、モダニズム自体のもつ重層性を認識すること、例えばクールベやマネの時点に遡ってそれを読み解いていくことでしょう。
もう一つついでに言うと、岡崎さんたちと日本の近代美術史を再検討する機会があって、クールベと高橋由一を対応させることができるのではないか(その手前でドーミエとワーグマンを対応させるとすれば)、という話をしたことがあります。クールベが革命派だったのに対し、高橋由一は国権派の側(いわばナポレオンⅢ世の側)で制作したりもしますが、それは歴史状況の違いからして仕方のないことでしょう。そこに真の意味でのレアリスムを見出すことは、僕は十分に可能だと思います。日本の近代美術の出発点では、この高橋由一らの洋画と、岡倉天心の弟子たちの日本画が、さまざまな可能性を孕みつつ対立していた。ところが、印象派――というかラファエル・コラン流のアカデミックな折衷主義――を学んでフランスから帰ってきた黒田清輝らが、その両者を排除しつつ、われわれのよく知っている日本の洋画というやつを打ち立て、へゲモニーを握ってしまった。日本の近代美術が最初にもっていた可能性が、そこで大きくゆがめられてしまったように思います。
日本の話は措くとして、1848/51年以降の状況に戻って言うならば、その状況はある意味で現在に通ずるところがある。ポストモダン、あるいはポストヒストリカルな状況の中で、すべてが紋切り型になってアーカイヴに収蔵されていると言うけれども、1848/51年以降だって本質的にはそういうところがあったんじゃないか。いや、もっと前にも似たような局面はあったんじゃないか。確かに生産様式の変化を考慮する必要はあって、情報技術が支配的になった現在の状況は、これまでの状況と量的・質的に異なっているところがあるけれど、それが前代未聞の状況であると考えるのも危険でしょう。いわんや、1989年に歴史が終わり、いまやわれわれはポストヒストリカルな時代を生きているという考え方は明らかに極端すぎる。コジェーヴ流に言えば、そうなると、物質的に豊かになった人間が「アメリカ的動物」に回帰するか、空虚な形式の洗練と反復に明け暮れる「日本的スノッブ」になるか、そのどちらかしかない。あるいは、東浩紀流に両者を合成して、アメリカナイズされた日本で発生した「動物的スノッブ」あるいは「スノビッシュな動物」としての「おたく」が世界を制覇する――村上隆流に言えば、アメリカに「リトル・ボーイ」という原子爆弾を落とされて去勢され、文字どおり「リトル・ボーイ」になった日本の「おたく」が世界を覆う小児化の波の先頭に立つ、というような言い換えをするほかない。それはそれで面白い物語ではあるものの、それがきわめて強くバイアスのかかったヘーゲル的な物語だということは、言っておかなければならないでしょう。
「現在」を、昨日を乗り超えた、また明日によって乗り超えられるであろう一時点と考えるのではなく、また、そのような前進運動が終わった後の際限なく続く今と考えるのでもない、とすれば、「現在」を、それ自体がもっている「反時代的」(フリードリヒ・ニーチェ)なモーメントも含めた重層性において見なければならない。例えば、「現前」の批判から出発するジャック・デリダの脱構築(デコンストリュクシオン/ディコンストラクション)というのは、そのような重層性を注意深く読み解いてゆく系譜学的な作業であると言ってもいいでしょう。また逆に、ジル・ドゥルーズの言う「出来事」の哲学を考えることもできる。ドゥルーズによれば、物語は過去形・現在形・未来形(「起こった」「起こる」「起こるだろう」)で時間軸に沿って語られるけれど、「出来事」そのものとは不定詞(「起こること」)で語られるもの、時間軸の切断――マルセル・デュシャンの言葉を借りれば「超薄[アンフラマンス]」な切断としてある特異点のようなものだ、と言うんですね。重層性を強調するか、特異性を強調するか、力点の置き方は違いますけれど、連続で単線的な時間軸に沿ってプレX—X—ポストXのXとして「現在」を考えるのではないという点では共通していると言えるのではないか。われわれとしても、出発点としてそういうリニアな図式を考える(そういうパースペクティヴなしにものを考えることはきわめて困難だから)と同時に、それを疑い、重層化・相対化する中から、「現在」というこのうえなく自明でありながら謎に満ちた何ものかに迫っていかなければならない。またそれが本当の意味でのポストモダンな地平にもつながっていくでしょう。非常に大雑把でしかも抽象的な話になってしまいましたが、以上をもって最初のイントロダクションにしたいと思います。
恢復期と子供
岡崎 浅田さんが明確な見通し、まとめをしてくれたので、僕はただ蛇足を加えるだけ、思いついたことを言うだけで気が楽なのですが、モダニズムには、それ自体に大きなパラドックスがあるとよく言われます。すなわち「現在」を擁護し、それにとどまることと、さらに積極的に「現在」を一つの形式あるいは様式として位置づけることの矛盾です。現在の肯定とは過去・未来から切断された現在にとどまること、つまり歴史的連続からの切断こそを擁護することを意味している。しかし、その現在を積極的に位置づけようとすると、どうしても歴史的評価、つまりいままでにないものとして、それまでの歴史を参照し歴史に登録し直すということになってしまう。浅田さんがお話しされた17世紀に起こった古近論争というのも基本的にはそういう問題でした。古代と現代はどちらがすぐれているか、現代つまりモダンを価値として定位しようとしたとたん、同じ価値はすでに古代にも見出されることになり、ゆえに双方はどちらが優位か競わされることにもなるのですね。われわれの時代は先行する古代よりも遅れているのか、そうでないとすれば、他の時代に対して、たまたま現代であるにすぎないという偶有的な存在として形式的に相対化されてしまう。現代を歴史的に定位しようとすると、そういうパラドックスが起こる。
対して、浅田さんのお話に出てきた画家のクールベやマネは、どちらもある意味で圧倒的に「出来事」としてある絵画を作ったとも言えます。だからこそ彼らの絵は容易に歴史に様式として位置づけられない。ところが、本人たちはなかなか簡単にそう自覚しきれない葛藤があって、例えばマネはなかなか気が弱くて、自分の描いた絵でスキャンダルが起こったとき、友人のボードレールに「全然理解されない」というような愚痴を手紙で書く。そこでボードレールは、友人としてマネをいさめるような返事を書いた。「あなたは所詮、あなたのジャンルの老衰期における巨匠にすぎない」、しかし「いかに罵倒されても、からかわれてもけっして死ぬことはない」と。かなりきつく的を射たことを言うわけですね。老衰期とは、つまり歴史主義に犯された気の病にすぎないというわけですね。
浅田 まさしく悪い意味でポストモダンですよ。岡崎さんがいまの言葉を引いて論じたゲルハルト・リヒターのように。
岡崎 リヒターはまったくマネの反復ですね。実際、マネはゴヤから学び、ヴェネツィア派から学びと、現実のモデルではなく美術史上のさまざまな作品を参照源に、それをディコンストラクトした作品を描いた。こういうふうに組み立てたやつは俺しかいない、わかんないやつは歴史に音痴だからわかんないんだ、という気持ちがあったわけです。ところがボードレールはそれをいさめた。むしろスケッチしか描かないきわめて凡庸に見える画家、いまではもう忘れ去られているようなコンスタンタン・ギースのような挿絵画家をあえて称賛したりする。
人間というものは、さきほど出てきたような歴史的な因果順序、つまりプレXがあってXがあるということから逃れられずに、自分のやっている行為を位置づけ判定しようとする。目の前の現在のことしか考えられない動物はつねに現在性にだけ晒されているかもしれませんが、人間である限りはこういう意味で歴史主義に束縛されてしまっている。それとの切断を図った「近代」という概念ですら、古代との関係において価値づけされようとしてしまう。あるいは先ほど浅田さんが言われたように、モダニズムを歴史と関わらない一つの普遍的形式として、ジャンル固有の形式で定義しようとすると、かえって古典主義に近づいてしまうわけです。なぜなら最終的に各ジャンルは客体的かつ一義的に一つの安定した形式に還元されるだろうと考えるわけですから。古代からそれは変わらないということになる。つまり逆説的に現代という特権的時間を消去してしまう。ある意味で進化も進歩もなくて、静止した時間、紋切り型そのものということになる。
こんなパラドックスに対してボードレールは、それにもかかわらず現在性を確保する術、先ほどの言葉で言えば、歴史に回収されない「出来事」を確保する術を「現代生活の画家」に書いた。そのもっとも重要な概念が「恢復期」というものです。それはまだ何も知らず――歴史に参入することなく、はじめて世界をショックとともに知覚する「幼年期」の子供の視覚に近い。けれど子供は精神的にも身体的にもあまりに弱く、それを肯定的に受け入れることができない。対して「恢復期」というのは一度死を経験した存在、つまり歴史の外に排除された存在――その人はもう存在しないという状態に至った、例えば死病を通過したが復活した、それにもかかわらずまだ生きているという状態です。こうした「恢復期」の知覚というものを、歴史に拘束されない知覚を得るためのモデルとして提起したわけです。いわば、老衰期に対抗する概念は、子供、幼年期ではなく、恢復期である、と。
けれど、ちょっと話は飛びますが、じつは、文学や映画、芸術で発見されてきた子供というのは、つねにボードレールの言う恢復期の特徴を帯びていたのですね。ただの子供ではなく、死を経験しているという意味で。
名作として記憶される子供映画とか児童文学には一つの典型的な特徴がある。例えば、有名なネオレアリスモの監督ロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)を少しお見せします。彼は戦後のドイツをリアルタイムでフィクションとして撮影した。『ドイツ零年』も実話に基づいたフィクションです。登場するのは第二次世界対戦の貧しい家庭、お父さんは病気で働けず、お母さんはいません。お兄さんは働けるのですが、元ナチ党員だったせいで、捕まるのではないかと思ってぶらぶらしている。それでお姉さんとエドムントという名の男の子の二人が働いている。子供だから、年齢を偽らないとお金をもらえないので大人にまぎれて働いて、大人に騙されたりしながらあくせく働いているわけです。たまたま道で会った小学校の元の先生、親切そうに見えるが子供に売春させたりしている先生に、ヒトラ—の演説レコードを売りに行かされたり。一方で、厳格な父親は、そうした状況をいささかも察しないで、建前だけ見て男の子を叱り、自分は死んだほうがいいなどと愚痴っている。まったくダブル・バインドです。父親の病気は慢性化し、家はどんどん困窮化していく。それで例の学校の先生に相談すると、世の中は弱肉強食なんだから、生きていくためには犠牲は必要だ、決断をしなきゃいけない、と指導する。つまり父親を殺せという示唆をするわけですね。で、男の子は本当にお父さんに毒薬を飲ませて殺してしまう。殺した後で、どん底に落ちこんだ少年が、決断して殺したことを先生に告げにいくと、私はそんなものに責任も関係もないと殴られて追いだされる。お前が勝手にやったんだ、と。
浅田 「自己責任」だ、と。
岡崎 そう、ひどいの。そして深い絶望のなか自殺してしまう、という話です。話としてはこうですが、[子供が遊んでいるシーンを見つつ]しかし、この映画が映画としてすばらしいのは、家族から離れ、先生から見放され、友だちからも見捨てられ、ストーリーとしては結末に達した後、少年がひとりぼっちになった、その後に映画の全体の長さのなんと四分の一にもあたる15分間もが費やされていることにあります。その15分間に何が映されているか。ご覧のとおり、少年は市街を彷徨い、石蹴りをしたり、鉄砲ごっこをしたり、無目的に遊ぶのです。映画の前半では大人のように働いていた子供が、はじめて子供らしく遊んでいる。そういう場面がいきいきと15分間も映しだされる。しかし、この映画をストーリーとして語ろうとするとき、この15分間は語られず省かれてしまいます。なぜならストーリーとして考えれば、何も起こらない、ただ自殺するまでのあいだの遅延、時間かせぎでしかないからです。しかしエドモンドはここではじめて子供として無目的に遊ぶことができる。[オルガンを弾くシーンを見つつ]ここは感動的です。廃墟の中でオルガンが鳴る。道行く人の日常生活が一瞬停止したようにぴたっと止まる。映画の中ではじめて少年が無目的に遊び、この15分間の中にそれがうまく組み込まれている。映画批評家だったら、これこそ映画だと言わなくちゃいけない場面が、ここですね。いわばクロノロジカルに流れる時間から、歴史から離脱した時間。『ドイツ零年』の「零年」が何を意味するのかは、この15分間ではっきりわかる。[少年が自殺するシーンを見つつ]そして唐突に、もう誰も死ぬなんて思っていない、ただ滑り台で遊んでいるのかなと思って見ていたら、エドムントは飛び降りてあっさり死んでしまうのです。この死までの15分間というのは、家族も先生も友だちも誰も知らない、彼が自ら世界から関係を断った後、彼が世界から姿を消した後の15分間です。つまり死を覚悟し、ある意味、世俗的世界の外に出た、死んだ後の空白の時間です。ボードレールの言葉をもじれば、彼はこうした死を通過した恢復期の中でのみ、はじめて子供である自由を得る。この映画が瑞々しい映像として表わしているように、そのときはじめて、光を反射する水たまりや石ころ、などなど世界の細部が輝いて見えてくる。死を覚悟する前は子供ではなかった。むしろ大人になろうとがんばっていた。
しかし、この映画は特別ではない。思い返せば近代の有名な児童文学はだいたい臨死体験の話でした。『銀河鉄道の夜』は、ジョヴァンニが臨死体験をする。そして、川がもし宇宙にある銀河と同じであれば、ニュートンの万有引力の法則どおりにすべての事物は宇宙の時空の中で互いに釣り合い、けっして特定の時間や空間に固定されたりしない、つまり溺れることもなく、死んだりすることもない、という認識に至る話でした。カンパネルラの物理学者のお父さんはだから息子が溺れても平気なのです。また『不思議の国のアリス』『オズの魔法使い』『ノンちゃん雲にのる』も、それぞれ主人公が一種の臨死体験をして、通常の空間・時間の束縛の外に出て、いままで自分のいた場所の細部がそれぞれもっていた魅力を再発見するという話だった。モダニズムは「恢復期」という主題において、臨死体験、子供の発見ということとつながっている。映画で言えば、ブールギニョンの『シベールの日曜日』やトリュフォーの『大人は判ってくれない』やタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』もそうでした。『僕の村は戦場だった』は、ドイツ軍と対峙したまま足止めになっているソヴィエト軍前線が舞台で、川を挟んだ対岸のドイツ軍へ唯一偵察として行き来しているのが少年イワンなんですね。子供であるゆえに対岸と行き来できるわけです。ドイツ兵は画面にいっさい映らず、不気味に映している対岸は死後の世界のようですらある。その冥府である対岸と行き来するイワンは、「自分は死を恐れない」と、大人よりも冷酷で厳しい表情をしている。そのうちイワンがいかなる子であるのか、その身の上を部隊の誰も知らないらしいとわかります。この戦場の時間の進行につきささるように、イワンの回想場面が挿入されていきます。イワンの回想とも解釈もできますが、映画特有の自由間接話法の特徴として、それが過去の場面であるかどうかは判然としない。戦場の場面と並行して別の現在があるのではと感じさせるほど、暗鬱とした戦場に比べて、はるかに光に満ち溢れた新鮮な映像です。戦場とは違って無邪気で子供らしく笑みに溢れたイワンが、光に満ちた空間で、水や花や女の子と戯れている。しかし何度か挿入される場面を見ていると、どうやらイワンの母は殺されたらしいことがわかる。戦場の場面では最終的に、イワンは上官と、対岸で殺され晒しものにされていたロシア兵を奪還しに行き、そのままイワンだけ生き別れてこちらの岸に戻ってこない。そして戦争が終わりドイツの司令部から処刑されたロシア兵の書類が出てくる場面になる。そのなかにイワンが処刑されたことを示す書類も映る。この最後の場面、光に満ちた画面ですが、ドイツのゲッペルスと家族らの遺体群、とくに子供の死体ばかりが非常に生々しく映される。映画の全体はこうして、戦場の闇と光に満ちた回想場面が、それこそ此岸と彼岸みたいに交互に切り替わるように構造化されていたわけです。川の此岸の闇に縛りつけられたように動けない戦場の場面に、時制を欠いたような光の中で少年がいきいきと戯れる姿が挿入され、映しだされていく。まさに闇と光、死の世界と生の世界の対比のようです。しかしこうして最後にもういっぺん光の場面として戦争集結場面が映しだされ、死体となった子供たちの姿が映しだされることによって、とても不思議な感覚が残るんですね。つまり、イワンこそ、もともと死後の世界から、あの前線に舞い降りてきていたのではないか。映画を全部見終わると、すでに死んだ、時間の外にある子供が、天使のように闇の戦場に戻ってきて、ロシア兵たちを助けていたのではないか、と感じられるようになっている。光の世界は回想の場面ではなくて、むしろ死後の世界、つまり歴史の外の時間、天使の時間だったのではないか。線的に時間が流れるほかないのは映画の宿命です。それは歴史の宿命、人間の生の宿命をなぞっているようですが、その宿命の中に、いかにストーリーの外、歴史の外の時間を確保するか、いかにそれを映画の中に実現し表現するか、というのは、後のタルコフスキーの『ストーカー』や『鏡』とも共通点をもった構造です。映画の線的時間、ストーリーから切り離された、つまり、ただいきいきとした知覚の現在性だけが前面化した外の時間、空間をとりもどすこと。というわけで、タルコフスキーの映画の中でも、子供はいつも死を通過した恢復期、むしろ死後の世界に属すものとして登場しているわけです。この世に所属していない、あるいは歴史の外。ここで子供は、現実的な世界から一度排除された、あるいは死んでしまうという条件ではじめて獲得される形象であって、塾に通いファミコンで遊んでいるふつうの子供ではない。あえて言うなら、赤塚不二夫の漫画に出てくるチビ太のような子供。ごぞんじのようにチビ太はホームレスで親も家族もない、おそらく戦災孤児で学校にも行ってない、子供なのに髪の毛も一本しかなく被爆した暗示すら感じられる形象ですが、おでんを食べて、あっけらかんとしている。こうした日常の空間の外に、はじめてモダニズムのモデルたりうる子供が成立する条件が確保されたというわけです。
以上は、歴史的時間とその外であるモダニズムの知覚について、映画という機械的で一方的な時間の流れを強いる条件の中で考えるとわかりやすいという例です。映画は放っておいても二時間もあれば終わる。さまざまな事件が起こりますが、何が起こっても結局は機械的時間がすべてを回収してしまうということです。観客は寝ていても映画はいつか終わる。これは先ほどのモダニズムの「いま、ここ」という知覚と歴史との関係とパラレルです。どんな出番があっても、結局は歴史的時間の中に回収され埋没してしまう。残るのは出来事ではなく、こういう話だったという歴史化された記録だけです。しかし『ドイツ零年』のような映画では、そんな全体のストーリーとは無関係な、エドムントがボールを蹴る場面が頭に残って離れない、そんなことが起こる。『僕の村は戦場だった』で、白い光の中でイワンが女の子と荷台のりんごを見て一緒ににっこりする、そういう場面がそれぞれ単独で生々しく記憶に刻印され、あらゆる時間から切り離されたように残るわけです。しかし、いったいそれが映画の全体のストーリーのどこに位置していたかは思いだせない、ということが起こる。
ともかく、こうして一度歴史、ストーリーから切断する仕組み、条件を構成して、はじめて「いま、ここ」に生起する生々しい知覚の表現が可能になるわけです。
しかし、これはひどく、残酷、過酷な条件でもあることを忘れてはいけません。
ダンスと子供の身体
岡崎 死を通過した恢復期ということで少し話が飛びますが、先日、ダンスについて、桜井圭介さんと対談したときも子供を巡る話になりました。コンテンポラリー・ダンスの世界でも、最近、子供の身体という言葉がよく言われる。さまざまなスタイルがやり尽くされて、単に上手でスムーズに動く技術にはもう飽きた、と。それで、自分たちの不格好な身体をあえて露呈する若い日本のダンサーが増えてきた。かわいいというよりは不意な、子供のように不均衡な身体がポジティヴな魅力をもった知覚的抵抗として現われてきたと言われているのですね。
浅田 キモカワイイ身体というやつですね。絵画で言えば奈良美智の絵のような。
岡崎 ええ、形式に回収されない身体ということでしょうが、しかし、気をつけなければならないのは、子供らしさとは、もともと身体がもっているオリジナルなものが露呈したのではなくて、いま見てきたように、あくまでも形式が破綻した、形式を突破してその外に出た、つまり恢復期にはじめて確保されるものだということです。
少し詳しく述べると、コンテンポラリー・ダンスにおいて、こうやって獲得される子供ならぬ恢復期の身体のモデルは、1960年代のニューヨークのトリシャ・ブラウンをはじめとするジャドソン・チャーチ派に代表されると考えられてきました。マース・カニングハムの流れを引き、現代美術、とくにロバート・ラウシェンバーグやネオダダ、そして音楽家のジョン・ケージと密接な関係をもっていたグループです。彼女たちがやったことは、一般的にはダンスの動きに日常的なしぐさを入れたことだと言われる。例えば、水を飲むしぐさや、歯を磨くしぐさ。そういう日常的なしぐさの導入は、単純に子供らしさの導入とつながるのではと理解されがちですが、しかし彼らがやったのはそういうことではない。
「ダンサーとダンスをどう見分けるか」というイェイツの詩がありますが、実際、われわれはダンサーを通してダンスを見ているわけですから、ダンサーの身体とダンスそれ自体とを区別せずに同時に見ている。ところがダンスやバレエをある程度見ていると、マンネリズムに見えてくる。つまりダンサーが踊る前に次に何をするのか見える、つまり形式だけが見えるようになってくるわけです。どんなに超絶技巧で速く踊っても、あらかじめどういう動きをするかがわかると、そのダンサーの動きが遅く遅れて見えてしまうということが起こる。つまりシステムに身体が所属しているというか、音楽で言えば楽譜と演奏家の関係のように、しかし、こうして演奏する前に楽譜が見えてしまうのなら、ダンスはいらないということになってしまう。もう一つダンスでの問題は、実際に踊っているのはダンサーだけであって、見ている人間は最後まで身体を動かさない。この場合、ダンサーが知覚している運動と、ダンスを見ている人間が知覚している運動は、全然違うわけです。ダンサーの側からすると自分がどう見られているかは最後までわからない。つまり、そこで共有されているダンス、運動とは何なのか。ふつうダンスは、音楽と同じように、ダンスが所属しているシステムがあって、それが全体を統制している、その統制しているところの動きを、つまり抽象的な動きをわれわれは見ている、そこを共有しているのだ、という理解なわけです。ところがこれこそが先ほどの形式の支配、すなわちマンネリズムを生みだすものだった。
この問題はもちろんダンスだけでなく音楽や美術にも起こることだし、この時代、強く意識されたことでした。こうした多領域で共有された問題意識の流れの中でジャドソン・チャーチ派の運動は出てきたわけですね。1960年代にミニマリズムという方法がアメリカの現代美術の中に出てくる。画廊に行ってもほとんど何もない。あるいはただ、誰が見ても四角い箱があるだけだったりする。作品とは通常、作者の自己表現であれ何らかの意図が含まれていると見なされてしまう。その意図を読みとろうとされてしまう。ミニマリズムは、可能な限りそういう恣意的・主観的な読み込みをなくし、客体がただそこにある、「もの」が確かにそこにある、という客体的な事実以外は排除しようとした。作品から意味を読みとるということは、ストーリーに基づいて映画を理解するのと同じようなことですが、美術作品をそういうストーリーや意味内容に位置づけず、ただそれを見ている、確かにいま、そこにものがあるという知覚だけを強調しようとした結果、ミニマリズムができたわけです。ところが批評家のマイケル・フリードという人がこのミニマリズムを批判したんですね。何もなくたって、観客がそれを見ようとする限り、何か見えてしまう、オブジェとして作品が実際はなくてもオブジェらしきものが見えてしまう、と。ダンスに置き換えれば、舞台の上にプロのダンサーがいなくても、誰か舞台に乗れば、素人の身体でもダンサーらしきものとして見えてしまう。見る側が勝手にそれを想像的に作ってしまう。これはマンネリズムとセットになっているわけですね。つまり観客はダンスそのものを見ていなくても、作品を見ていなくても、前もってあるコンテクスト、形式によって意味をもった対象を探しだし、見つけだしてしまう。それがミニマリズムの作品だということです。こういう意味においても、ベタに子供のなどと言うと、うっかりすると、こうしたマンネリの結果、倒錯した効果によって生みだされたシロモノ、トリックにすぎないということになりかねない。身体の強度が露呈するなんて理屈を言って、突っ立ってるだけで踊らないダンサーとか、だいたいこういうトリックに陥ってしまいがちなわけですね。ともあれフリードの批判を応用すれば、例えばイヴ・クラインの《空虚な部屋》などというものが作品となるのも、観客がそこに作品があると思う文脈によっている故であり、結局は観客の観念がそれを補充しているってことでしかないのだということになります。こうしたトリックを総じて、フリードはシアトリカル、つまり劇場の効果であると言いました。
フリードは、こんな「シアトリカリティ」に対して、その仕掛けに回収されないものとして「アブソープション」と名づけた効果をもった作品を対峙させます。この「アブソープション」という概念は、18世紀のディドロなどの議論を下敷きにしたものですが、例えばシャルダンの絵の中でトランプをしている男の子がいる、あるいは編み物をする女性がいる。観客も含めて誰かから見られているのと関係なく、登場人物たちが何かの行為に没頭していることを「アブソープション」と言う。いわば見られることを前提としていない行為自らの行為に没頭するという行為です。絵画を語る理論として「アブソープション」という概念はわかりにくいと言われていますが、じつはいまここで話しているようなダンスの問題に置き換えるとずいぶんとわかりやすくなります。つまりジャドソン・チャーチ派のやったことは、いわばこの「アブソープション」のダンスだったということです。ダンサーたちがシアターの真ん中でまさに編み物をしたり棒を直線に並べたりすることに没頭する。彼女たちはそれをタスク、任務という語で呼びました。あるいは奇妙な装置をつけながら必死で身体を制御しようとしている。あるいは二人のダンサーがぶつかりあって互いの動きを互いに規制する。あるいは繰り返そうとする。ふつうダンスにも楽譜[コレオグラフ]があって、それにダンスは従うわけですが、ここでは楽譜の代わりになってダンサーの動きを制御しているのは舞台装置であり、小道具であり、そして他のダンサーの身体そのものなわけですね。それらとの関係でダンサーの動きが規定される。例えば、僕がこの白墨を浅田さんに向けて投げると、浅田さんがさっとよける、動きが生まれる。つまり、この白墨が楽譜の代わりになって、白墨との関係で僕と浅田さんの動きが決まってくる。そういうことをやりはじめたわけです。観客が抽象的に舞台に投げかける形式ではなく、ある与えられた任務、あるいは与えられた道具、そして舞台の状況それ自体への没頭がダンスを規定し、ダンスのテクニックを生成させる。この「アブソープション」が、スタティックな観客に見られている舞台、そこで演じられるダンスという関係つまり「シアトリカリティ」を超える可能性をもつのは、こういう動きが潜在的なモデル(前もってあるストーリー)に回収されずに、まさに前もって制御できない、予測できない不自由さとして、その場で起こる出来事のリアクションをダンスに組み込んでいるからです。この結果として現われるものは、単なる下手とかいうものではない、むしろ徹底的に機能的、合目的的な、切羽詰まり切実なリアルな運動――モノを投げたらよけなきゃいけないわけですから――です。サッカーで言えば、セットプレーは練習できる、いわば前もって楽譜があるけれど、実際にシュートできるかどうかは「出来事」ですね。それはその場への「アブソープション」が必要になる。で、出来事というのは偶然ではない、徹底して、その場の条件に機能的、合理的に反応する、没頭するということである。頭をそこに集中しなければいけない。こう考えるとアイロニカルにもフリードの理論というのは、パフォーマンス・アーティストたちを批判していたように見えて、その新しいパフォーマンス・アーティストたちがやりだしたことの可能性の核心を見事に摑んでいたことになるでしょう。
話を戻せば、こうした方法によって生みだされたダンスに、もし子供の身体とでも言いたくなるものが見出されたのだとしても、それは単に潜在的な肉体の特性、不格好さが露呈したものではないはずです。つまりはそこで、あらかじめ用意された抽象的で単一で均質な時間や空間に書き込まれえなかった運動が、それこそダンスとして生成してくるのを見ているということでしょう。
重要なのは、ダンサーというすでに訓練を受けた主体にとって自由にならない抵抗がそこでまず与えられる。こうした舞台装置、小道具、他者の肉体という物質的抵抗に出会うことは拷問に近い。訓練してきた主体的統御を殺す――実際に不自由さ、不自然さを強いるわけですから拷問そのものですが――それがいままでにない動きを生成させる。つまりは新しい主体を生成させる、その生成が子供のような動きと呼ばれていたわけだった。
だいぶ横道にそれましたが、最初の主題、モダニズムの知覚としての恢復期に戻れば、歴史や視覚空間という、あらかじめ枠が定められ確定された時間・空間の全体的な形式へ回収されえない、「いま、ここ」にだけ生じる「出来事」、知覚、生をいかに確保するかという主題はここでも共通していたわけです。すでに制度化された時間・空間、それに位置づけられるべく訓練された身体そして主体を、いったんあえて殺してしまうことで、ようやく自由が獲得され、新たに主体が生成し、運動が生まれ、知覚がいきいきと作動しはじめる。こうしたモダニズムの知覚のモデルとしての子供というものも単に歴史を知らぬ動物ではなく、ボードレールの言ったとおりに「恢復期」、つまり歴史を知り尽くしたうえで、あえてそのなかに位置づけられた自らの主体を殺し、脱落し、死を通過することによってこそはじめて得られるものであると。反対に言えば、われわれは自分自身の死を通過しない限り、われわれが必然だと思い、自然過程であるとさえ信じきった歴史や形式――そのなかには芸術と呼ばれるものや国家と呼ばれるものも含まれます――が、恣意的でそれこそ取り替え可能な、つまりはこれもまた死ぬ必然をもったものであったことを、自覚できない、覚醒できないということです。この覚醒はこうした歴史の外に出ること、あえて自明の形式に対するハンディキャップを抱えることなしには得られない。これが近代にすぐれて生みだされた、子供というものの可能性なのだと、最近よく考えています。
ソヴリンティ・ディシプリン・コントロール
浅田 映画やダンスに即しながら、例によって非常にスリリングな話をしていただきました。ロッセリーニの『ドイツ零年(Germania anno zero)』については、ドゥルーズをはじめ誰もがエドムント少年が廃墟の中を彷徨うシーンをすばらしいと言う。ジャン=リュック・ゴダールが『新ドイツ零年(Allemagne annee 90 neuf zero)』(1991)という作品を撮っていて、それは「new zero」であるとともに「nine zero」でもある、つまり1945年が「ドイツ零年」だとすると、ドイツ再統一を控えた1990が「新零年」であるというわけだけれど、ここでもエドムント少年の彷徨と投身のシーンが決定的なかたちで引用されている。しかし、あのように一人ぼっちになったときにはじめてエドムント少年が子供らしく遊びはじめる、つまり幼年期というのはあらかじめ与えられるものではなくいわば死の底を突き抜けるようにして獲得されるものだ、という話は非常に刺激的だし、あの映画を見直すうえでもかつてないヒントを与えてくれると思います。その他、具体的な問題についていろいろインスパイアされたことが多いのですが、とりあえず入門講座という趣旨に即して、退屈な復習教師のように岡崎さんの話に補助線を引いておきましょう。
まず最初に、ディシプリン(規律・訓練)から脱落して単に不恰好でキモカワイイ子供に戻ればいいのだという居直りがなぜ非生産的な倒錯にすぎないのかという問題があります。それは近代のディシプリンを裏返しただけだから、と言ってしまえばそれまでですが、もう少し詳しく文脈を見ておきましょう。すぐれて近代の哲学者であるカントが、啓蒙による近代化とは子供から大人への成熟と自立だと言っています。前近代においては、神や父といった大文字の存在、いわば後見人のような存在がいた。父なる神に従って――言い換えればそのような存在に服従する臣下(subject)として――考え行動する限り、間違いはない。それは後見人に従う子供のようなものだというわけです(逆に言うと、神を敬い、金貨を退蔵している老人というイメージもあるわけですが)。それに対し、父なる神のような後見人に頼らず、自分で自分を律するのが、近代である。つまり、大人として自律し自立するということですね。メタレヴェルから経験的な認識や行動の正しさを保証してくれるものを超越的な〈他者〉と言うなら、近代においてそのようなものはもはやない。経験的な認識を行ないながら、その認識の正しさの条件を自分で反省する、そのような反省を、カントは(超越的ではなく)超越論的な反省と呼んだ。その意味で、大人になった近代の主体とは、自分で自分を律する「経験的=超越論的二重体」だったわけです。これはミシェル・フーコーが『言葉と物』(邦訳=渡辺一民+佐々木明訳、新潮社)で使った言葉ですが、フーコーがさらに『監獄の誕生』(邦訳=田村俶訳、新潮社)で分析したところによれば、そのような自律的主体とは他律を内面化した自己監視の主体=臣下である、というんですね。超越的な〈他者〉に上から監視・命令されるのが前近代のsubject(臣下)であるとすれば、監視の視線を内面化して自分で自分を監視・命令するのが近代のsubject(主体=臣下)である、と。フーコーによれば、父や神、あるいは王を中心とする前近代の「ソヴリンティ(君主権)」のシステムに対し、近代になると「ディシプリン(規律・訓練)」のシステムが支配的になり、それが監視や命令を個々の身体に文字どおり叩き込むことで自律的な主体=臣下が生まれる、ということになります。
ところが、最近どうやらこの「ディシプリン」のシステムが機能不全に陥っているかに見える。規律を内面化するどころか、だらだらしているかと思うとすぐキレるような人間、解離した複数の人格やボディ・パーツの束でしかないような人間が増えてきているかに見える。そこで、フーコーを延長してドゥルーズが言った言葉で言うと、「ディシプリン」に替わって「コントロール」のシステムが支配的になりつつあるんですね。「コントロール」というフランス語は「監視」というニュアンスが強いので「監視/管理社会」と言っておきますが、要は、ディシプリンによる法の内面化と自律的主体の形成に期待するのをやめ、自律を知らぬ複数の人格やボディ・パーツの束と化した人間を電子で直接監視/管理しよう、というわけです。フーコー自身は、コレージュ・ド・フランスの講義録などを見ると、「ソヴリンティ/ディシプリン/セキュリティ」という三つ組で、しかも歴史段階論的にではなく考えようとしていたようですが、フーコーの公刊された書物をもとにドゥルーズが敷衍した図式で言えば、前近代とは超越的な〈他者〉を原点とする他律的な秩序(「ソヴリンティ」)の中で人間が子供だった時代であり、近代とは「ディシプリン」を通じて人間が「経験論的=超越的二重体」としての主体、つまりは大人になった時代だとすると、現代とは複数の人格やボディ・パーツの束と化した子供のままの人間を電子情報網で直接監視/管理する時代だ、というわけですね。このドゥルーズのヴィジョンが、9・11のテロ以降、急速に具体化してきているのは事実でしょう。しかし、「ディシプリン」から解き放たれた――というか落ちこぼれた子供たちが子宮のような電子情報網の中に包み込まれているというのは、きわめておぞましいヴィジョンです。モダン・ダンスの「ディシプリン」を叩き込まれた身体なんかつまらない、「ディシプリン」から落ちこぼれた不格好な「コドモ身体」がだらだらしているほうがキモカワイイなどと言われる。美術でも文学でも、あるいは「おたく」文化でも、同じようなことが言われる。世界が小児化し、「美」でも「崇高」でもなく「(キモ)カワイイ」こそが普遍的な価値基準となりつつある中で、そのような小児化の先頭に立つ日本こそが文化的へゲモニーを握るチャンスだ、と。この種の議論は、しかし、ドゥルーズの警告する「コントロール」のシステムの補完物にほかならず、何よりモダニズムの核心にもあった子供というものの可能性の中心を決定的に逸してる。子供というのは、あらかじめ与えられた、あるいはそこへと退行しうる条件としてあるどころか、ほとんど死をくぐりぬけた向こう側に再発見されるものだというのが、岡崎さんのお話だったと思うんです。
岡崎 ええ。そもそもカントの言った啓蒙というのは、外的規範の内面化というのではなくて、いっさいの外的規範なしで判断できる、自律的判断が行なえる自覚だというわけですから、その意味では死を通過した後の子供というモデルは、カントの啓蒙のモデルそのままなんですけれどね。登録すべきと迫る神を頂点とする世界秩序の外に出ちゃった子供たちは、いっさいの規範に縛られず、なお自分を統御できる自覚を確保し、さらに規範自体をそのつど生成させる能力を確保する。けれど、これに対抗して、システムが身体を実体化して扱い、先ほど浅田さんが言われたように、生理的かつ電子的に身体という単位から主体をコントロールしてしまえという動きがありうる。でもこれが可能かどうか。身体と精神の関係はけっしてコントロールできないわけですね。端的に精神は自分の身体の死をもいとわず、身体と精神は、お互いに相手を他者として拒絶したり、互いに離反したりできるわけですから。二つは一義的に対応しないばかりか、もともと多数性に分裂しているものだったわけですから。それこそジャドソン・チャーチ派もタルコフスキーも楳図かずおも、身体と精神を結ぶ形式が多元的にありうることを示しつづけてきた。
浅田 フーコーの話に関連してつけ加えると、彼は早すぎた晩年に、他律の内面化としての自律というのではない、力としての自己が自らを矯め、芸術作品のように成型する、そのようなセルフ・ファッショニングとしての自律ということを、とくに古代ギリシア・ローマのストア派やエピクロス派に即して考えていたんですね。このヴィジョンは十分明確にされていないものの、いま振り返っても示唆するところが大きいと思います。かつてのフーコーは、クロソウスキーやラカン、あるいはアドルノ&ホルクハイマーなどと同じく、カントとサドというパラダイム、法と侵犯というパラダイムで考えていた。カテゴリカルな法というものがあって、カントで言えば無条件に善をなさねばならないし、サドで言えば無条件に悪をなさねばならない――「無感動という禁欲」(クロソウスキー)をもって犯し殺さねばならない、というわけです。ところが、同性愛SMの実践者でもあったフーコー、カトリック国フランスで若いころそれゆえに精神的危機を体験したフーコーは、晩年、性革命以後のアメリカで、性的無法状態とも言うべき状況を見出すんですね。だからといって、それがめちゃくちゃなアナーキーかというと、そうではない。それなりのゲームのルールとスタイルをもったゲイ・コミュニティなりSMコミュニティなりが自ずから成立している。実際、フィスト・ファックなどということまでやるわけだから、本当にやりたい放題やったら死んじゃうんで(笑)、SMであっても、いやSMだからこそ、相互が快楽を得られるようなゲームのルールとスタイルが必要だし、それを体得していないと仲間に入れないわけですね。このアメリカでの体験を、フーコーは古代末期のストア派やエピクロス派の時代と重ね合わせてみているような気がします(性的な禁止をはじめとして)が緩んだ状態で、力としての自己が自らをのびのびと発現させたとき、何でもやりたい放題やるというのではない、むしろ自分を矯めるようになって――ちょっと美学的になりすぎているとは思いますが――自分自身を美しい芸術作品のように磨きあげていくのだ、というわけです。「ディシプリン」を通じた他律の内面化としての自律とは違う、セルフ・ファッショニングとしての自律ですね。フーコーは晩年に別の文脈ではあれカントを肯定的に論じるようになるのですが、確かにこちらのほうがカントの可能性の中心に近いのかもしれない。と同時に、岡崎さんの言われる意味での、歴史の外に出た子供たちの世界とも、どこか通ずるところをもっているように思います。
モダニズムと「子供になること」
浅田 最初に主にフランスを舞台として1848/51年の話をしたので、ここでその延長上の話につなげましょう。岡崎さんの引用されたとおり、ボードレールはマネに「あなたは老衰期の巨匠だ」と言った。しかし、ある意味でボードレール自身もそうなんですよ。ダンテの『神曲』百篇に対し、そのモダン・ヴァージョンである『悪の華』百篇を書いた、それはデカダンスの極致へと下降してゆく巨大な螺旋のようなものです。乱暴に言えば、その老衰期の底を突き抜けるようなかたちで子供が出現するんですね。最近の新入生でも小林秀雄のランボー論は読んだことのある人が多いでしょう。あれは、ボードレールが老衰期の極に作りあげた閉じた球体を突き破って、ランボーという子供が外へ飛びだしていく、という話なんですね。しかし、子供といっても無垢な子供ではない。1871年のパリ・コミューンに馳せ参じて、おそらく性的なものも含む暴力に身を晒したりもしている。手紙で「諸感覚の錯乱」を通じて「見者」になるなどと言っているのは、けっして抽象的な次元にとどまる話ではない。ヴェルレーヌとの同性愛や、そのもつれからくる発砲事件も、その延長上にあるものでしょう。普仏戦争とパリ・コミューンの激動の中、家を出て放浪し、あえて自分を壊すことでやっと子供になったランボーが、「大洪水の後」で釣鐘草ごしに祈りを捧げるウサギを見つめ、果ては「季節よ、城よ、無傷な魂などどこにあろう」などというシンプルきわまりない歌をうたってみせる。そして、20歳を過ぎると詩を放棄し、武器商人となってアラビアに行ってしまうわけです。
そこまで過激な存在は他にいないとしても、「大洪水」(普仏戦争とパリ・コミューンがあったし、現にそのころ洪水もあった)の後、新鮮な視覚で世界を見直すという態度は、1874年に第一回展を開く印象派とも共通している。そしてとりわけセザンヌですね。セザンヌは同郷の幼なじみだったゾラとの関係で取り上げられることが多いのですが、初期のセザンヌの暗澹たる人物画は確かにゾラの自然主義に対応している、逆に言えばそのままだとセザンヌはゾラの『制作』で描かれた画家のように悲惨な末路をたどったかもしれないので、悲惨の極を見つめながら『制作』を機にゾラと決別し、ピサロとの交流の中から自然を描くようになったとき、セザンヌはセザンヌになった――そして、あえてゾラに対して言うならランボー的になったのだと思います。ボードレールやフローベールとクールベやマネを対応させるのは常識的だとして、セザンヌとランボーを対応させるのはそれほど自然ではない、しかし、例えばフィリップ・ソレルスがそういう視点をとっているのは、僕は正しいと思うんです。1871年の「大洪水」の後、自然の中に歩みだした子供――僕がランボーやセザンヌに感じるのはそうしたイメージです。
老衰期に頹廃の底まで行ったとき、それを突き抜けるような切断によって子供が生まれる。しかし、それは無垢なものへの退行ではない。リオタールは、『ポスト・モダンの条件』の後、「インファンス」つまりまだ口をきけない子供ということを強調するようになるのですが、それを無垢な段階への退行として考えるととたんに反動的な話になってしまうので、それこそあらゆる言語ゲームの果てに、その底を突き抜けるようにしてランボーなりセザンヌなりといった野生児が出てくるというふうに考えるべきでしょう。狭義のモダニズムは1848/51年から始まるという話をしましたが、さらには1871年以降の段階まで含めて考えなくてはいけない。そこでは当然、印象派も問題になるし、マラルメ(ボードレールとランボーのあいだにあって避けて通れない存在)を筆頭とする象徴主義[サンボリズム]も問題になる……。
岡崎 例えば、ボードレールと同時代に生まれた象徴主義というのは、よく一種の退行と捉えられがちですね。しかし外界から切断し撤退しきったとき、かえって身体は無垢どころか、統御を離れ、感覚は錯乱的に拡張し、見たこともない色や形象が出現する、例えば目をつぶって目蓋に圧力を加えたほうが目を開いているときよりはるかに多様な色彩が現われるという発見が、象徴主義と呼ばれる思潮の中には含まれていましたね。例えば画家のモローやルドンはそういう流れにあった。先ほども話に出たように、いま「生の政治[バイオポリティクス]」が言われ、身体のレヴェルで主体が意識しないまま、主体がシステマティックにコントロールされてしまっているという。象徴主義は、いわばこうした可能性を先取りしていたようなものですね、つまり頭ではなく身体に基づいた象徴がわれわれの知らぬ間にわれわれをコントロールしている、と。身体は、精神や外界を大きく超えた、制御できぬ怪物性をもつ。従来のデカルト的な自我意識がこの錯乱をコントロールすることは不可能であることを発見した。精神と身体を結びつける形式は多元的で錯乱している。象徴主義と同時代のセザンヌにしても、そうした認識では共通していましたね。ですから、もし現在の社会が「生の政治」と呼ばれるものに向かっているのだとすれば、これは組織的に象徴主義の実験をやりなおしているようなものだ、と(笑)。そこで身体、アガンベンの書いた「剝き出しの生」が露呈してきたときに、完全にコントロールされてしまう社会が実現するのか、逆にそうなった瞬間に、カントの啓蒙モデルではないけれど、外的コントロールによらない自律性が見出されるのか。僕は後者だと思う。
浅田 それで思いだしたのですが、ドゥルーズが「カントの哲学を要約しうる四つの詩的表現」というエッセイを書いています。これは柄谷行人さんと僕が編集していた『批評空間』で翻訳し、いまは『批評と臨床』(邦訳=守中高明+谷昌親+鈴木雅大訳、河出書房新社)というドゥルーズの論集に入っていますが、例によって大胆不敵な論考、それこそ哲学史を極めた大哲学者が子供のような視点で書いた論考なので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
一つは、「〈時間〉の蝶番がはずれている」(シェイクスピア)。〈時間〉とは〈時代〉のことでもあって、この世界は箍[たが]がはずれておかしくなっている、ということですね。これをドゥルーズは、一定の軸をもった前近代的な秩序が失われてしまい、時間からして主体が自分で構成しなくてはいけなくなる、というふうに読んで、カントにつなげます。もう一つは、「善とは法の命じるところである」(カフカ)。善人を助けるのは善いことだから助けるというのは自己満足にすぎない、法がカテゴリカルに「助けよ」と命ずるなら善人も悪人も無差別に助けるべきなので、そのことが善いことなのだ、というわけです。そして、残りの二つがランボーの言葉なんですね。一つは、「我とは他者である(Je est un autre [Je Suisではない])」。これは哲学者の箴言のようですが、まさにパリ・コミューンのころ、みなさんより若い17歳くらいの高校生だったランボーが、自分の詩を評価してくれる教師に送った手紙(いわゆる「見者の手紙」)の一節です。「私が考える(Je pense)」というのは間違っている、「非人称の人が私において考える(On me pense)」と言うべきだ、と(「On me pense」と「(Un)Homme pense」というのが掛けことばになっているわけですが。これをドゥルーズは、時間の中で世界を経験している私に対して、そのような時間を外から超越論的に構成している私というのがいて、それはもはや他者だ、というふうに呼んで、カントにつなげます。
もう一つは、まさにいま岡崎さんが言われました「あらゆる感覚の錯乱(dérèglement de tous les sens)」。ただし、ランボーは「熟慮にもとづいた錯乱」というふうに言っています。ドゥルーズに言わせれば、「私とは他者である」というのが『純粋理性批判』だとすると、「あらゆる感覚の錯乱」というのが『判断力批判』であり、そこでは真善美の自然な一致が錯乱によってばらばらになった段階から出発しなければならない、そして、共同体の共有する趣味との予定調和を前提しえない主観的な美的判断がそれにもかかわらず普遍性をもつようにしなければならない、というわけです。
こうしたドゥルーズのラディカルなカント像(カント学者はほとんど愕然とするでしょうが)からすると、『言葉と物』や『監獄の誕生』のフーコーが批判的に語った、「経験的=超越論的二重体」として、他律を内面化した自律的主体としてのカント的主体というのは、真にカント的というより、たかだか新カント派的なものにすぎない。カントの可能性の中心はむしろランボーだ、というわけですよ。私とは他者であり、調和しえない諸能力の束である、それを前提としたうえで、さまざまな諸能力を自由に発揮する中から、自ずと自己を矯めていくのが自律だ、と。そういうふうに考えれば、フーコーが晩年に考えていたような、力としての自己が、外からの法による禁止のないところでのびのびと働いたとき、そのことを通じて自らを矯めてゆくというヴィジョンとも、どこかでつながっていくような気がします。
ヘテロノミーもアウトノミーもないばらばらのボディ・パーツの束がバイオポリティカルなコントロール・システムの中に浮遊しているという安易なディストピア・イメージが支配的になり、それが部分的にではあれ現実化しつつある現在、一見それと似ているようでまったく違うヴィジョンを、カントに即し、あるいはランボ—やセザンヌに即し、ドゥルーズやフーコーの仕事をヒントとしながら探っていくというのは、「現在」がわれわれに突きつけているきわめて重要な課題であると言うべきでしょう。
岡崎 ええ。まったくドゥルーズのカント理解に同意します。そういう意味で言えば、この前の浅田さんとのシンポジウムでも話したように、夏目漱石にもそういう認識があったでしょう。例えば、『草枕』の主人公の画家は、彼が非人情と言っている、世俗的な空間や時間に属さない自己、そういう自律した心の感情まさに――「アブソープション」――をいかに確保するか思い悩んでいる。時代はまさに日露戦争の最中で、国家や社会に対して批判的な距離をとることが切実な問題だった。この画家は実際、徴兵逃れで温泉に来ていたんですね。そこで、所詮、絵を描くことも、公認されうる形式の一つとして社会に着地させるにすぎない、なんて憂鬱になっている。それで温泉につかっているときに突然、水死体の気分がわかる。自分が土左衛門になりきってみると、この気分はぞんがい風流だなんて悟る。まさにこの気分というのは「アブソープション」ですが。で、対象に基づかない、純粋に気分にだけ対応した抽象というものが可能だなんてことを案出する。この小説は1906年だから実際の抽象の誕生より先行している。少なくとも漱石は象徴主義という可能性の核心がわかっていたわけです。いずれにせよこの画――もとはと言えば、漱石にとって芸術の問題は、国家を含めた制度、システムの外に出ることと重なっていた。なぜ東京から逃げてきたかと和尚に聞かれて、画家が「東京では屁の検査をされる。重さやら回数やら、挙げ句、屁が三角の穴から出てきたか、丸の穴から出てきたか検査される。だから嫌だ」という話をするんですね。つまり本来は無定形なものまで管理しようとする、と。
浅田 コントロールですね。
岡崎 そう、お巡りがそういう検査をするのだと、かなりあからさまに書いてある。絵を描くのはそれから逃れるためだと言いつつ、でも描いてしまえば三角か四角か検査可能になってしまうから描けないんだとか、ノタリクタリと所詮思弁的に考えているにすぎない画家に対して、その和尚は一喝して、日本橋の真ん中で内臓をさらけだしても平然としてられなくてどうする、と言う。この小説のヒロインは那美さんという、常軌を逸した行動ばかりか、幽霊と間違えられたり、似顔絵も描けないような、姿かたちまで捉えどころのない女性ですが、和尚は彼女の秘密はここにあるという。彼女はもう内臓をさらけだしているんだ、と。内臓というのは外形をもたない。いくつあるかさえはっきり自分ではわからない。漱石はご存じのとおり胃を煩っていましたが、この小説の最後にも胃病を煩う男の会話が出てきて、自分の胃袋が一つか二つあるかも確認できないくらいなのに、革命とはいかなるものか、誰がするのかなんて自問自答している。つまり反対に、革命というのは、この不定形な、主体として一つにも統御できない、本来多数的な身体というリアルな現実へ立ち戻り、それを通過しないことには成立しない。『草枕』の画家の、現実逃避したいという心持ちだけでは、かえって小賢しくロマンティック、センチメンタルな自己への逃避になってしまう。例えば、どのように制御しようとしたって、おならをするかしないかは法律では決められないわけです。お巡りが検査するのはそれが三角か四角かであって、屁をすることはなんともしようがないわけですね。国家のみならず自分自身ですら、屁をすることは受け入れざるを得ない。人為的な規範はこの自然的条件自体を消去したり、制御したりすることはできないわけです。和尚さんに言わせると那美さんは、この自然の抵抗そのものをはっきり自覚しているのだ、と。社会的な通念から見ると、あらゆるレヴェルで捉えどころがなく、錯乱的なだけに見える那美さんの振る舞いの一つ一つが、じつはそれぞれの器官、状況の必然に沿った(アブソープした)、それぞれ徹底して機能的、合理的、整合的なものだったと言える。那美さんが実現しているのは一つの子供だと思うのですが、錯乱しているにもかかわらず徹底した明晰さ、整合性があるわけです。いわばザッハリヒカイトそのものなんですね。
浅田 ランボーですね。
岡崎 まさに。芸術理論で「メディウム・スペシフィック」という言葉があって、絵画なら絵画のメディウムとしての特性、例えば、キャンヴァスと絵の具という物質的特性によって形式が規定される。夏目漱石は、同じように国家の成り立ちもまず人間というメディウムにスペシフィックなところから生みだされるものだと考えていたようなところがある。まず人間、それもその人格を超えた身体の抵抗がある。それが究極の人権という自然法の依拠する場所だ、と。いかなる国家であれ主体であれ、これを無視すると抵抗が起こり、転覆が起こる。漱石は美濃部達吉の友だちだったから、国家を規定する憲法というのは、そういうメディウム・スペシフィシティに基づいたものであるべきだと考えていたのではないかとも思えますね。いまは法も何もなく最後に残るのはセキュリティ・チェックであるとか「生の政治」であるとか言われているけれど、それは逆説的にコントロールしきれない生の条件というものが最後に露呈しはじめている証拠のようにも思われますね。
浅田 コントロール社会論やバイオポリティクス論を極限まで突きつめようという誘惑はあるし、確かに一回突きつめたほうがいい面もあるわけです。例えば、ジョルジョ・アガンベンは、ナチスの強制収容所で、ほとんど死にかけてじっとうずくまっている人たち、ユダヤ人なのに「ムーゼルマン(ムスリム)」と蔑称されていた人たちの、剝き出しの生に還元された裸の身体こそが、現代の人間のあり方の一つのパラダイムであると言う。国際法もアメリカの裁判所の管轄権も及ばないキューバのグアンタナモ基地の収容者たち(ジュネーヴ条約の適用される敵国軍の捕虜ではなく、テロリストと関係した「敵性戦闘員」という曖昧な身分を与えられている)や、イラクのアブグレイブ刑務所で裸のピラミッドを作らされている収容者たちの身体が、その例証である、と。そういう極端な議論はある程度正しいし、現代を考えるうえで無視できないとは思いますが、やはり極端に過ぎるでしょう。剥き出しの生に還元された裸の身体を電子情報網でコントロールするという話になると、結局は「出口なし」ということになってしまうし、その反動で、ややもすれば宗教的な救済を求めるしかないといったアポカリプティックな議論に傾く危険もあるんですね(アガンベンのみならずバディウも聖パウロを論じるというのは――聖パウロを戦闘的運動家として捉え直すという意図にもかかわらず――現在の左翼の一部のメシアニズムへの傾きを象徴しているように思います)。その意味では、「われわれは身体に何ができるかまだ知らない」と言ったスピノザの言葉(ドゥルーズが再三引用している)のほうに可能性があるのではないか。実際、どんなに剥き出しの生に還元されたように見えても、身体には自立的な能力がある――全身の筋肉が衰えて寝たきりになった人が、目の動きだけをシグナルとして、文章を綴ったり作曲したりするように。それが情報システムとポジティヴな結合を果たしたとき、新たな力能をもったサイボーグが生まれることさえ考えられる。いずれにせよ、現在の悪しき傾向をリニアに延長し誇張するだけでなく、それをつねに別な側面からも見直していく必要があるということが、今日ここで強調したかったことの一つです。ちなみに、ナチスの収容所で弱りきったユダヤ人が「ムーゼルマン」と呼ばれていたことに注目したのは、最近のアガンベンではなく、『ヒア&ゼア』(1974-75)でのジャン=リュック・ゴダールなんですね。彼はパレスチナに行って『勝利まで』という映画を撮るはずだったのが、挫折の後、残されたフッテージを仔細に見直す中から『ヒア&ゼア』を作った。この映画は、ゴダールの集大成とも言える『映画史』でも決定的なところで引用される。そして、『JLG/自画像』や『アワーミュージック』といった作品でも、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害と、イスラエル人によるパレスチナ人の迫害、この悪しき反復の図式がいかに恣意的なものであり、そこからいかに逃れるべきかということを執拗に考えつづけている。僕はむしろアガンベンではなくゴダールのほうにより多くのヒントを与えられてきたことをつけ加えておきます。
質疑応答
質問 最近の小説などでも、物語が歴史性を離れ、一人の人間の周りのことだけを書くものが、より強く出てきていると感じるのですが、それについてご意見をお聞かせください。
浅田 教科書的なことを言うと、定型としてエディプス的な物語がある。父をモデルかつライヴァルとして、何とかそれを模倣しかつ乗り超えようとする、と。それは、個人的なレヴェルでも、共同体のレヴェルでも語られるでしょう。
ちょっとご質問の主旨とそれるかと思いますが、だいたいトラウマを克服するという物語によってろくでもないことが起こっているんですね。例えば、かつてダッカ事件で連合赤軍に人質をとられた際、首相だった福田赳夫が「人命は地球より重い」と言って、服役中だった日本赤軍のメンバーを超法規的に釈放し、身代金まで払い、世界中から笑い者になった、これは耐え難いトラウマだ、と(僕は、当時の日本がダッカで人質を救出する実力をもたなかった以上、これはむしろ合理的な判断だったと思いますけれど)。これに対し、イラクでの日本人人質事件を巡って、福田赳夫の秘書だった小泉純一郎首相や福田赳夫の息子である福田康夫[元]官房長官が、かつての恥をそそぎ、いまこそ日本を一人前の男として世界に認めさせるために、断固として人質解放の要求を拒否してみせるわけです。仮にも政府は国民の生命と財産の安全に責任を負うわけだし、この場合はとくに日本がアメリカに盲従してイラクに自衛隊を派遣したからこそ民間人が人質にとられるような事態が生じたにもかかわらず。
似たような話として、かつての湾岸戦争のとき、日本は90億円も資金を出したのに、兵隊を出さなかったことで、クウェートから感謝されることなく、世界中から笑い者になった、これまた耐え難いトラウマだ、と言われる。良いことをしたと言うなら、それで感謝されなかったからといって何がトラウマかと思いますし、じつはカネほど戦争の役に立つものはないんで、実際にはずいぶん感謝されているんですけれどね。しかしここでもまた、いまこそイラクに自衛隊を送ることによって、かつての恥をそそぎ、日本を一人前の男として世界に認めさせよう、という話になっているわけです。
個人的なレヴェルでも共同体のレヴェルでも、エディプス的な物語が現実を強く引っ張っている。そういう物語の力学に対して、それを相対化することはきわめて重要です。「物語批判」と言われてきたのはまさにそのようなことだったはずなんですね。
そうすると、しかし、世界や国家、戦争や国家、戦争や平和といった大きな問題からは目をそむけて、自分の周りの日常だけを淡々と描いていればいいのか、という話になる。それだけがすべてだとしたら、それは私的なものへの逃避でしかないでしょう。おっしゃったように、リオタールの言う「大きな物語」としてのマルクス主義が失墜して以来、そういう傾向が目立つことは事実です。「私小説」というのは日本の特産品かと思いきや、フランスでもいまごろ「オートフィクション」などというのが流行っているんですね。しかし、「私」とその周辺の一見どうでもいい日常だけを描くことで、ある種の社会性・歴史性を間接的に、しかしきわめてリアルに浮かび上がらせるというのが文学の真骨頂なのであり、逆に社会や歴史について直接発言すればそれで社会性・歴史性をもっというものではない。そこに逆説があるわけです。例えば、村上龍がSM嬢のとりとめもない独白を書くと、ものすごいリアリティがある。そこには社会や歴史の断面がリアルに現われるわけです。ところが、社会問題を直接分析するとか、子供たちに将来の就職の夢を与えるかとかいう話になると、NHKの番組のようなものになってしまう。それこそいま言った逆説ですね。
岡崎 浅田さんと同じことを言うことになるけれど、「私」ということ自体が社会的なものだから、無自覚に私だけを書いていると、社会に埋没した自己を確認する、あるいは小説を書くことによって、自分をもう一度社会に登録し直そうという小賢しい配慮以外の何ものでもないことになりがちですね。
アガンベンは非常に読みにくく両義的ですが、『アウシュヴィッツの残りのもの』(邦訳=上村忠男+広石正和訳、月曜社)で出てくるムスリムと呼ばれる人たち、この人たちはもうほとんど自分が人間であるという顔をもっていなくて、恥ずかしさも何もなくなるという。それこそ『草枕』の和尚さんが言ったように、人前でうんこしても平気になっちゃう。ところが逆説的にも、こういう通常の人間の外にまで出てしまった人たちが予言者のような役割をするわけです。じつは、アガンベンが書くムスリムそっくりの人々が、スピルバーグによって映画化されたフィリップ・K・ディックの『マイノリティ・リポート』(邦訳=浅倉久志訳、ハヤカワ文庫)に出てくる。予言者[プレコグ]です。プレコグも人間性を奪われ、アウシュヴィッツの囚人たちとまさに同じような囚人服を着せられ、幽閉されている。彼らはもはや人間として扱われていない。身体そのものが標本のように保管されているわけですね。しかしこうして完全に自分を受け渡していることによって、プレコグはそれこそ世界の外、世界に位置づけられた主体の外に出て、まさに誰でもない、錯乱する感覚の器そのものとしての予言者となっている。ややロマン主義的すぎる詩人の姿ではありますが。
おそらく、夏目漱石が考えた小説もそういうものであって、私が誰であるかを確認するような小説は負けたも同然である。「文芸の哲学的基礎」という漱石の感動的な講演会があって、これは現在の東京藝大、美術学校で行なったものです。そこで漱石は小説を書くのは国家を作るのと同じぐらいか、それ以上に重要だと言うわけです。小説家のことを暇人だとみんな思っている。確かに昼寝ばかりしているうえに、宵寝もし、朝寝もする、ほとんど寝ているだけのようなものであるけれど、われわれは暇であることによって国家ではない別の組織というか世界を構築しようとしているのだ、と。これはまんざら嘘ではなくて、そのための条件として、まず社会的に登録されている私から離れなければならない。それが観念的な創作物であることを自覚せよとアジっているのね(笑)。
浅田 グレン・グールドがラジオで『草枕』の英訳を朗読したというエピソードがありますが、有名な最初のパッセージからして非常に面白い。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」。つまり、認識と感情と意志はばらばらだし、それぞれ突きつめていくと問題が起こる、と。まさにカント的な認識です。だから「人の世は生きにくい」わけですね。しかし「人が作った世の中が生きにくいからといって、外へ引っ越すことはできない。できるとしたら人でなしの世くらいだろう」と。これは要するに原理主義批判です。人の世の諸矛盾を一気に解決したいと思って、どっかへ引っ越そうとしたら、それは人でなしの国、原理主義的な狂気の国でしかありえない。だから、主人公の画家自身も、矛盾を孕んだ複数的な世界で何とかやっていかなければならないというところから出発して、和尚の話や那美さんの話へと移っていき、岡崎さん流に言えば子供の再発見にたどりつく。そのような意味でものすごくアクチュアルな作品だと思います。すぐれた文学、すぐれた芸術一般というのは、だいたいそうやって読み直すことができるものなんですね。一見トリヴィアルなもの、周縁的で無力なものが、逆に、ものすごく大きな広がりをもったさまざまな諸問題を孕んでいる。それが芸術や文学の真骨頂であると言えるんじゃないでしょうか。
質問 イラクの日本人人質事件での自己責任論は、「自由とは何か」ということをもう一度考えさせられたような気がするんですが、お二人はどのように感じ、どのように考えたのでしょうか。
岡崎 例えば、同じ自己責任という言葉を使って、小泉純一郎氏は、靖国神社に行ったのも自己責任だと言った。それから年金未払いの一件も自己責任だと言いました。自己責任論というのは、いわば国家、公共的な判断とは無関係で成立する個人の行動と判断の自主性を認めるというものでしょう。国家と個人との関係で言うと、憲法という契約によってのみ、国民は国家を認め、個々の行動の保全を国家に委ねるかたちになっていた。そして自衛隊というものの存在の正当性はもちろん、国民の生活を保護することにあった。
しかし今回、国家それ自体が、例えば自衛隊がまさに存在理由としている国民の保護・保全という国家の義務を免除するために、この自己責任論を使うようになったことは、国家としてかなり奇妙な事態です。もしそういうことを言うのであれば、犯人たちが要求した段階で、この人たちは、われわれが自衛隊を派遣していることと関係ない、彼らは自己責任でイラクに行っている、だからその人たちを拘束するのは不当ですと言えばよかった。直接、日本政府に文句を言うなり攻撃するなりしてください、と言えばよかった。彼らはそれこそわれわれ日本政府の行為とは無関係、つまり日本人ではないと言えばよかった。政府の責任は政府にあるのだとはっきり、その人たちとは無関係であるということをはっきり前もって宣言することこそが国家の責任でしょう。よど号事件のときのように代わりに人質になる政府官僚は現われなかったどころか、そのときに犯人に対してそれを言わないで、人質が返ってきた後に被害者(人質)に向かって飛行機代を返せと要求するのは、論理として詐欺の商法ですね。その論理で言うなら、小泉氏がもしも公用車を使って靖国神社に行き、それを自己責任だと言ったならば、政府は小泉さんに公用車にかかったお金の請求をしなければならない。自己責任と主張するのであれば。いずれにせよ、これらの詭弁は結局国家の存在理由を自ら否定している結果にしかならない。対してアメリカはもっと明晰であって、アメリカ軍を海外に派遣するのは、海外でのアメリカ人の行動の自由を保障するためだと理由づける。海外も国内も区別がないという意味でむしろそっちのほうが危ないわけですが。ともかく、国家がこうもあからさまに国民を見捨てるのだと宣言してくれているのだから、われわれ国民も国家を見捨てられるということがはっきりしてよいとも言えるのですけれど。いずれにせよ後から非国民なんて攻撃するのは、詐欺商法以外の何ものでもない。
浅田 僕もほぼ同意見です。日本国家は、人質を救出する実力をもたないのなら、人質は日本国家と関係がないと明言すべきだった。また人質の家族も、理想的に言えば、私たちは彼らが自己責任でイラクに行ったことを誇りに思うし、国家が何もしてくれなくて死ぬとして誇りに思う、と言ったほうがよかったと思います――もちろんそこまで要求するのは酷だと思いますが。
それに関連して一般論を言うと、ケインズ主義的福祉国家(というか福祉=戦争国家[welfare-warfare state])というのが20世紀半ばに支配的だった。これは、国民の生命・財産を守るだけでなく、市場にも介入して景気循環を制御し失業を緩和しよう、社会福祉もしようという、ずいぶん世話焼きな国家だった。しかし、やはり20世紀の最後のクォーターくらいになって、そういう福祉国家が破綻に直面する。さらにグローバル化が進むと、一国単位での福祉国家はとてもやっていけなくなる。そこでいわゆる「ネオリベラリズム(新自由主義)」が出てくるわけです。古典的にはリベラリズムというのは国家統制からの自由、とくに市場における競争の自由を主張するものだったんだけれど、とくに20世紀半ばのアメリカでは、競争から落ちこぼれた弱者にも自由を保障するためむしろ国家が介入すべきだと考えるのがリベラリズムになり、それに反対してあくまで自由競争万能主義を唱えるかたちでネオリベラリズムが出てきたんですね。経済学で言うと、ケインズを批判するフリードリヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンといった人たちの主張がその原型です。フリードマンは『選択の自由』(邦訳=西山千明訳、日本経済新聞社)という本で有名ですが、要するにすべて自己責任で選択するんだということですね。国家がドラッグを禁止するなどというのは余計なおせっかいなので、ドラッグで廃人になりたい人は自己責任で廃人になればいい、ドラッグを自由化すれば価格は暴落してマフィアは自動的に壊滅するだろう、と。中央銀行も警察も民営化して、自由な競争の中でいちばん信頼性のおけるところが勝ち残っていけばいい、と。これを極限化すると、いわゆるアナルコ・キャピタリズムになるわけですよ。そこまではいかないけれど、現に肥大化したケインズ主義的福祉国家が破綻に直面したとき、サッチャーやレーガン、そして日本では中曽根康弘というより実質的には小泉純一郎がネオリベラリズム路線を選択し、自由競争万能主義を建前として国家のさまざまな機能をどんどん民間にアウトソーシングしていくようになった。良く言えば国家がおせっかいをやめるわけだけれど、悪く言えば国家が責任放棄して国民を放りだすわけです。人質事件で噴出した自己責任論も、そういう流れの徴候だと言えるでしょう。ただし、こういうネオリベラリズムの背後には、グローバルに市場を広げ、そこでの自由を担保するためには、軍事力の行使も辞さないという、ネオコンサーヴァティズム(新保守主義)が張りついている。社会を上から変革しようなどと考える設計主義は理性の傲慢であり、旧社会主義圏のような悲惨な結果を招く、むしろ長年続いてきた伝統を保守するほうがいい、と考えるのがコンサーヴァティズムですが、ネオコンサーヴァティズムは左からの世界革命に替わる右からの世界革命を目指すわけです。その意味では、現在の支配的イデオロギーであるネオリベリ=ネオコン複合体は、アナルコ・キャピタリズムどころか、きわめて国家主義的な一面ももつんですが、別の一面を見るとほとんど国家の自己否定のようにさえ見えるわけですよ。
岡崎 ええ、国家主義の裏打ちにアナーキズムを使っているような欺瞞がありますね。しかし例えば、アブグレイブ刑務所の囚人虐待事件に対しても、いまのアメリカは、テロリストには人権はない、何をしてもいいと正当化しかねない。けれど、そうであるのなら、通常の拷問ではなく、なぜ女物のパンツをかぶせるのか、裸にしてピラミッドを作らせ記念写真を撮らなければならないのか、マスターベーションさせたりしなければならないのか、合理的に説明することはできない。鞭打ちではなく女物のパンツをかぶせることは、言うまでもなく無目的な非合理的な趣味に基づいたものだとしか言えないわけです。合理を装う国家がそれくらい根拠のないものに支えられていることを露呈させた。そして一方で、今回の事件で徴候的にいちばん興味深く思えるのは、写された写真の中で、なぜか囚人の顔につねに袋がかぶされているという点です。拷問する側の兵は顔を晒していたのに。おそらく、なぜなら囚人の顔が見えるということよりも、囚人から見られること、囚人の視点によって、こうした行為を行なっている自分たちが注視されることが耐えられなかった。つまりアメリカ人の看守たちは自らがこうした行為を行なうことを恥じていた、ゆえにこうした行為を行なった。つまり相手に恥を与えようとして、自分たち自身が恥ずかしいと思う行為を行なうことしかできなかった。囚人の視線を隠していたのは、看守たちが自分たちこそ恥を感じていて、その自分自身が感じる恥ずかしさに倒錯的に恍惚となっていたことの証拠ですね。
質問 子供が永遠になる、ということをおっしゃっていたかと思いますが、もう少し詳しく説明してくださいませんか。
岡崎 氷遠ではなく、時間に回収されない、ということです。何月何日に起こった出来事というのとは切り離された経験だということを言いたかったのです。実際それは一瞬のことかもしれないし、三分間のことかもしれないのですが、それを思いだすときに、何年何月に起こったということではなく、時間の流れから切り離された例外的な出来事として回想されるということですね。子供の記憶というのはそういうものでしょう。われわれが何か特別の経験をしたときもそうかもしれません。二年前に起こったことと五年前に起こったことを時間的に逆転して憶えているということもある。こうした記憶は、何月何日という時制を失ってしまうということを言いたかったのです。
浅田 ドゥルーズ&ガタリは「devenir enfànt(becoming child)」、つまり「子供になること」を唱えているんですね。「子供であること」(最初に与えられていた幼年期に戻ること)はくだらない。そうではなく、老衰期の底を突き抜けるようにして「子供になること」の生成変化を生きることが重要だというわけです。モダニズムはまさにそのようなヴェクトルを通じて、マネやボードレールからセザンヌやランボーへと生成変化していった。このようなかたちでモダニズムを見直すことは、いまもきわめて大きな示唆を与えてくれるだろうと思います。ロッセリーニの『ドイツ零年』でエドムント少年が廃墟を彷徨い、最後に投身するところを、『新ドイツ零年』の決定的な部分で引用してみせたゴダールは、その後20世紀末に『映画史』という巨大な作品を作りあげた。これは、ゲルハルト・リヒターの《アトラス》と対応するような――いや、それよりはるかに複雑なものではあるけれど――老衰期の映像のアーカイヴですね。映画史は潜在的な可能性を実現することなく終わってしまい、後にはそうしたアーカイヴが残されているだけだ、と。この意味で、ゴダールには自分が映画の老衰期の最後の巨匠であるというメランコリックな自意識があるわけです。しかし、じつはその自意識を突き抜けて、ロッセリーニのエドムント少年のようになりたいとも思っているんですね。ゴダールは『映画史』の直後に『21世紀の起源』という短篇を撮っていて、これはまさにクールベが女性器を描いた《世界の起源》を思わせもするタイトルですが、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』で子供が三輪車で進んでいくシーンが絶妙なかたちで引用されている。その子供こそが、20世紀のすべての悲惨を目撃した後、21世紀へと突き抜けていくわけです。あるいは、『フォーエヴァー・モーツァルト』や『アワーミュージック』になると、サラエヴォなりパレスチナなりに行けない、あるいは遅れて行くしかない自分たち――映画が歴史に出会い損なうというのが『映画史』の基本テーマでした――に対し、死を賭してそこへ突進してゆく若い人たちの姿が、じつに新鮮に描きだされる。つまり、『映画史』で「歴史の終わり」のメランコリーの極に沈んだかに見え、あるいはそこからキリスト教的な救済の方向に向かったかに見えるゴダールにあってさえ、老衰の底を突き抜けて子供になるというプロセスが生きられているんですね。
岡崎さんの話にインスパイアされつつ、ポストモダンあるいはポストヒストリカルと言われるような状況ですれっからしになってしまったわれわれも、だからこそふたたび「子供になること」を目指さなければならない、という思いを強くしました。それは、あらかじめ与えられた幼年期への安易な退行ではない。むしろ、老衰の底を突き破ってはじめて見出されるものなんですね。それはまた単線的な時間軸の外で見出されるものであり、それこそが――昨日に比べて今日が「相対的にモダン」というのではなく――「絶対的にモダン」(ランボー)ということなのだと思います。
岡崎 現在はますますひどい状況に突入していると言えますが、ゆえに可能性がある方向もまたはっきりと見えてきていると僕らは考えたい。本日の僕の支離滅裂な話の中で、そういう気持ちをわずかなりとでも伝えることができたなら、と願っています
浅田 新入生歓迎行事という枠の中で話してきたわけですが、新入生のための入門講座としても、一般向けの講演としても、かなり奇妙なものになってしまったのではないかと思わないでもありません。ただリオタールの『こどもたちに語るポストモダン』を岡崎さんの意味でもっとラディカル化して「こどもたちに語るモダン/ポストモダン」といった話ができたとすれば、それにまさることはないでしょう。もとよりいくつものヒントを投げだしただけで、積み残した課題は多いのですが、それについてはまたあらためて論じていきたい。それ以前に、みなさんがご自身で考えていただければいいのではないかと思います。
(2004年5月、京都大学)