IC27-16
パノプティコンからアーキペラゴへ
秋吉台国際芸術村コンサートホール
[掲載日:]
秋吉台国際芸術村におけるルイジ・ノーノの《プロメテオ》上演は、バイロイトの祝祭劇場におけるリヒャルト・ワーグナーの《パルジファル》上演に比肩できる出来事であった、と関係者は考えている。もちろんわずかながら相違点がある。バイロイトではまずワーグナーの構想に基づく劇場が完成し、そこだけで上演するために《パルジファル》は作曲された。秋吉台では既に作曲されていた《プロメテオ》が上演されるためにその演奏用のホールが設計された。その初演(1984)ではヴェネツィアのサン・ロレンツォ聖堂内にレンゾ・ピアノによって仮設舞台がつくられたが、今回は秋吉台に永久設置されている。いずれも、特定の上演作品が、特定の上演空間を必要としたあげく、同時代に一般化されていた音楽(オペラ)演奏用のホールとはまったく異なった型ができあがった。それは単なる特殊解ではなく、それぞれ新しい演奏空間の形成に向けての突破口となる役割をもっている。
祝祭劇場においては、王の座が廃された。座席がすべて均等な条件で舞台に向いている。近代劇場の基本型がここでうまれた、と言われている。観客の視線を均等にすることは一見デモクラティックな空間が達成されたとみることも可能だが、同時にこれはその視線が集中する舞台の主役もしくは指揮者の側にたつと、逆に観客を均等に支配できるファシズムの構図でもある。双方向の視線で空間をあまねく貫通させるような施設として、ミシェル・フーコーはパノプティコンをとりあげた。祝祭劇場は、この近代の均質空間の劇場化であった。下からのデモクラティックな視線と上からのファシズムの視線とが同じチャンネルを介して交錯する、逆説的な状態がうまれた。

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秋吉台芸術村コンサートホール内部。
1998年8月26日、《プロメテオ》日本初演前の入念なチェック。左端=アンドレ・リヒャルト
ルイジ・ノーノの《プロメテオ》はマッシモ・カッチャーリのシナリオに基づいている。そのスコアは楽章を「島」と呼んでいる。そして、オーケストラやコーラスなども「島」に分解され、相互に空白部を介して呼応するように指示されている。これはマッシモ・カッチャーリが常々構想している「群島(アーキペラゴ)」状の文化的空間を、時間軸、空間軸の両方に展開する意図があると解釈できる。ここには、ただひとつの中心はない。「島」のそれぞれが中心/非中心である。そして、「群島」状の集合状態が、つまり、小さいコミューナルな空間である「島」が集まって、大きいコミューナルな空間「群島」を形成する。さしあたり演奏空間においては、観客はこの空白部分を埋めることによって、演奏を聴くと同時に演奏に参加している。カッチャーリの文化空間の構想を、ノーノは具体的に音楽の時間と空間の双方に編成したと言い換えていいだろう。
この「群島」状空間は、パノプティコンさらにはワーグナーが実体化した「均質」空間を解体する。そして、2世紀にわたって支配してきた均質空間に代替する新しい構図を示唆していると思われる。これは、90年代になって変動を開始した世界が向かっている文化空間のモデルでもある。《プロメテオ》に到達していくような演奏空間は今世紀の後半から予見的に、つまり実験的に試みられつづけてはいたが、冷戦の終結したいま、急速に現実性を帯びはじめた。秋吉台国際芸術村コンサートホールはそんな予感の具体化である。
均等な座席が舞台に対峙する、いわゆる均質性を志向している従来の近代劇場の型に対して、ここでは舞台と観客席が互換できるとともに、その舞台(観客席)としての「島」がレヴェルと方向を変えて、空中に浮遊する。演奏の場所も選択的で、どこでも可能であり、これに対応して観客席も可変となる。実際に《プロメテオ》の上演の後に、数々の演奏が試みられ、これまでの通常のホールとまったく違った使い方が可能であることがわかってきた。
パノプティコンからアーキペラゴへ。《パルジファル》から《プロメテオ》へ。そして、バイロイト祝祭劇場から秋吉台国際芸術村コンサートホールへ。つまり、中心を容易に形成できる「均質空間」から星雲状のコミューナルな非中心性空間へ。この転換が2世紀を経て起こりはじめる。そんな出来事が1998年夏の日本で起こったこと、これを私たちははっきりと記録しておきたいと考える。

