IC10-1

透明な視覚ヘ

二つのイメージのはざまで

[掲載日:]

心のなかのイメージと眼にうつるイメージは、いったいどのようなメカニズムでつながれているのだろうか。この自明のことのようでありながら、永遠に不可解な問題にとりつかれるようになったのは、ここ10年足らずのことのように思う。

リュミエール兄弟がパリのグラン・カフェの地下室で初めて映画の公開上映をおこなった年と、フロイトが「精神分析」という言葉をつくりだし、『夢判断』へ向けて準備を始めた年が重なりあうのは決して偶然ではない。

ポール・ヴァレリーが「夢もまた映画ではないか」と言い、モーリス・アンリが「私たちは眠りにつくときに映画を見にゆく」と語るように、映画は外見の生を写しとり、うわべの光景を再現するためばかりではなく、心のイメージの一形態や夢のかたわれとしてあり、意識下の人間のイメージを引きだす精神物理的な場となって“心の構造”を外へと送りだした。

19世紀科学の最後の偉大な産物であり、純粋に物理化学的方法による事物の再現でありながら、映画は生産物として最も魔術的な夢の形に似て、時としてそれは最も豊かな心的イメージよりも豊潤なものとしてたちあらわれてきた。

感覚の上でははっきりと区別されていたものが溶けあい、やがてそれが分化してくる過程……、いわば“発生期の状態にある心理的現象“が映画というメディア構造のなかに含まれていた。映画の映像世界には実際的で、現実的な知覚ばかりではなく、それと同じような力を持っているにもかかわらず、19世紀の合理的思考ではないがしろにされてきた「魔術的な視像」がオーガニックに混じりあっていたのである。

世紀末の暗闇のなかで、何ら予備知識を持たない映画の観客たちが見たものは、アニミスティックなゼリー状のヴィジョンであり、彼らはその時、心のイメージがスクリーンで震えているのを体験し、夢の状態が目覚めている時の経験や感情と同質のものとして現前化されることで、不確かなヴェールに包まれていた心のイメージや夢の現実性をはっきりと知覚したのである。

「私たちに心や夢の視覚化を可能にするために特に動く映像が発明されたように思われる」とジャン・テデスコが言うように、こうした独特の“視線の原始形態”の再生こそが映画が生みだされた真の理由だったのかもしれない。

しかし夢と現実を無限に往還し流動的な意識を発生させる、映画に内在するこうした働きは、20世紀という時空のなかで様々に限定され、拘束され、その機能を閉じられてきた。映画のほとんどは説話的な物語のコマとして組まれ、大量生産のプロセスで特性は希薄化し、コマーシャリズムのなかで運動の身ぶりをもがれ、そのイメージは表層的な機構として文化的に回収され、消費されていった。映画が生まれて1世紀を迎えつつある今、その事態はクライマックスに達していると言っていいのかもしれない。しかしまったく別の方向からこうした心のイメージの侵入が訪れようとしていることを見逃してはならないだろう。

例えば言うまでもないことだが、映画における連続的なイメージは、ある「錯覚」を前提にしている。それらは静止した無数の画像を次々とうつしだすことによってつくりだされ、同時に人間の視覚は、眼球がそうした画像を走査する際の、こまかく、すばやい視線の動きの合間合間の、きわめて短い静止時間に収集される情報からできあがっている。つまり、我々がごくあたりまえのように受けとめている現実の事物の明確な形姿は、実はある対象の様々な部分について眼がうつす多くのスナップショット群の瞬間的な連続から生みだされるものなのだ。様々な部分の寄せ集めが神経システムへ入ると、それは視覚中枢のあちこちの部位へとひろげられ、そこへおりたたまれる。我々が受けとめる日常世界の物質のかたちは、複雑におりこまれ、内蔵された情報の再構成であり、それは心において互いをおりこみ、意識にひろげられる多くの映像として生成されることになる。

それゆえ世界のあらわれとは、より深い内蔵された秩序からの展開の結果であるとともに、世界のあらわれから受けとめる我々の感覚印象そのものもまた、同じような内蔵された秩序に従っているのである。

F・D・ピートはこうした「内蔵」と「顕前」の関係を次のように述べる。

空間と線的な時間継起のなかに、あいまいさをいれる余地なく場所をしめている物体からなる日常世界には、顕前(エクスプリケイト=あらわれた)もしくはひろげられた(アンフォールディッド)秩序とでもよべるものが呼応します。しかしこの顕前秩序は、いまではよりふかいところにある内蔵秩序からのひろがり、あらわれだとみることができます。ある類推モデルが、この点を明確にするのに役だつかもしれません。イタリアの町の広場にある噴水は、そこを循環してゆく水によってかたちをたもっています。したがってそこにあらわれたかたちは、おりこみとひろがりのコンスタントな流れの表現、そのものだといえます。おなじように、河にみられる渦は、河のすべての水の全体的な流れの表現であり、その構造は、全体としての河のダイナミクスによってたえまなくささえられています。よりふかい意味でいえば、物質・空間・時間のそれぞれの秩序は、どれもがかくされた内蔵秩序の、顕前的あらわれにほかならないのです。[★1]

★1 F・D・ピートシンクロニシティ(管啓次郎訳)、朝日出版社、1989。

こうしたことはホログラフィのメカニズムを例にとるとよりわかりやすいかもしれない。つまり通常の写真では対象の各部分からくる光はフィルムのそれぞれに対応する位置へ焦点を結び、映像のかたちは対象のかたちに対して明白な対応関係を持つがゆえに、写真のあるディテイルを切り取れば、そこに含まれる情報は対象の一部についてのものでしかない。

しかしホログラフィでは対象の各部分からの光はフィルム面の全体におりこまれてゆくため、その映像のどんな小さな部分をとっても、そこには対象全体についての情報が含まれていることになる。従ってホログラフィでは対象と感光体との関係は、あらわれた秩序と隠された秩序の関係に他ならず、イメージはこの隠された秩序を情報へと展開してゆくことによって再構成されてゆくのである。

さらに問題なのは、視覚を考える場合、網膜にうつる光学的な像である視野(生〈なま〉のままの自然の像)と人間が見ている視覚世界(人間化され、意味化された像)を分けておかねばならないということである。視野とは、いわば絶えず移り変わる光の連続パターンであり、これらが網膜で記録され、人間はこのデータを処理して自らの視覚世界をつくりあげることになる。「見る」という言葉には、認知・判断・観察といった意味が含まれていることを我々は忘れやすい。つまり見ることにはある種の認識行為が絶えず介在しているのだ。眼を通して知識を得ることが「見ること」のまわりにいつもつきまとっている。我々は色彩や明暗や形態といった視覚的要素を感知するという単純な主体体験から見ることを始め、それを組み立てて構成し、知覚してそれが自分にとってどのようなものであるかを認知しようとする。見ることには、普段は気づくことのない実に複雑なシステムが組みこまれていて、それが作動し、ひとつの意味の流れをつくりあげる。

それゆえ生まれた時から眼の見えなかった人が角膜の移植手術によって初めて視覚を得ても、実際に我々がおこなっているような「見ること」を行使するためには何カ月も、時には数年もかかる場合があるという。眼が開き、初めは明暗だけが確認できるようになり、次に色の識別ができ、やがて物の存在がぼんやりわかってきて、視覚が固定できるようになっていく。つまり特定の物を背景から区別して、図と地を判別できるようになっていくのだ。物の形態がはっきり把握できるようになるのはその後のことであり、この段階に至って初めて、その物が自分という存在とは切り離された存在であるという主客の分離がしだいに可能になっていく。それ以前の段階では、内と外という感覚も非常に曖昧であるということに注意したい。眼が開いたにもかかわらず見えないのは、網膜が見ているにもかかわらず視神経と脳神経の間の連絡がまだうまくとれていないため、脳が見てくれないのである。眼のイメージが心のイメージとうまくつながらないとでも言うことができるだろうか。我々は眼で見るというが、根底において視覚という意識を生じさせるのは脳と心であり、視覚の情報処理がそうした経路をたどることによって見ることが成立しているのだということを確認しなければならないだろう。そしてこうした視覚のプロセスは、その段階的な認知構造によって、人間の進化や意識の発生の問題とも深いつながりを持っている。我々はまさに誕生から成長してゆく段階で、動物の眼のレベルから人間の眼のレベルへ視覚を進化させてきたと言えるだろう。

こうした事実を背景に、遠近法やカメラ・オブスキュラが発明され、人間の眼のメカニズムが明らかになる15世紀から現在に至るまでの視覚装置や視覚メディアの流れをたどってゆくと奇妙な事実に突きあたることになる。

つまり写真が発明されてから現在までの1世紀半あまりの時代が、長い人類の視覚史において、それ以前とは決定的に異なるある“異物”として機能しているということである。

ウィリアム・J・ミッチェルはその『リコンフィギュアード・アイ』[★2]のなかで現在を“ポストフォトグラフィ(脱写真)の時代”としてとらえ、来たるべき視覚時代の特殊性を分析し、写真の時代と写真以降の時代を区別しようとしているが、より広いスパンで考えるなら、写真以前の時代と写真以降の時代にはさまれた“写真の時代”の特異性が逆に“ポストフォトグラフィの時代”においてさらに明瞭になってきていると言ってもいいのかもしれない。

★2 ウィリアム・J・ミッチェル『リコンフィギュアード・アイ』(伊藤俊治監修・解説/福岡洋・訳)、アスキー出版局、近刊。

『リコンフィギュアード・アイ』のなかでミッチェルはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のある情景を引用している。物語の語り手が、一枚の写真を見て、過去の、厳密なある一時点における祖母の部屋へと引き戻され、あたかもその写真を撮った撮影者のその時の位置に立っているかのようになり、一瞬、帽子とコートを身につけた目撃者になってしまうというシーンである。

その語り手は瞬間的に、撮影者であり目撃者でもある他者が、確かにその場所に存在し、生きていたという事実を自らの身体で実感し、その他者である撮影者が本当にその対象を見て、その出来事をカメラのなかに吸い寄せ、封じ込めてしまったのだということを、ある戦慄とともに身体の内に受け入れるのである。イメージが身体の細部へ、深く食い入ってくる。その出来事が、あの露光の瞬間に起こった。そして写真を見る者が、その時間の、その空間の、その存在へと引き戻される。それが写真の本質である。その時系列は乱されることはなく、見る者はいつも、そこへ運ばれてゆく。

それに対し“ポストフォトグラフィの時代”のデジタル・イメージにおいては、かつてそこにいた撮影者や目撃者や他者を捜しだそうとしても無駄である。眼差しは帰属すべき対象を初めから喪失している。見る者がイメージを通して撮影者の位相に戻ろうとしてもイメージは拒絶する。戻れないんだよとイメージは断言し続ける。眼差しなき視覚がそこにたちあらわれる。撮影者がいないのだからそれは当然のことなのだが、そこに何かとてつもなく大きな裂け目が露呈していることを見る者の無意識が気づいている。

デジタル形式でコード化されたコンピュータ処理可能なイメージは、これまでの映像とその質を大きく異にしている。写真が発明された時、写真は絵画の変種のようにみなされ、モホリ=ナジが写真術100年祭にあたって指摘したように、発明されてから1世紀以上に亙って写真は絵画の形式や美学を模倣しようとしてきた。そして今あらたに浸透しつつあるデジタル・イメージも「電子写真」や「デジタル・カメラ」といった言い方によって、写真的な、あるいは絵画的な枠組をはめられている。しかし実はこうした言い方は新しいイメージの特質を何も指し示してはいない。逆にそうした言い方は現在、我々を取り巻きつつある視覚情報形式が人間の感覚や認識に与える影響を隠蔽してしまうことになると言っていいだろう。

デジタル・イメージは、簡単に言ってしまえば数学的な点の集合によって生みだされるイメージであり、それぞれの点はXとYという直交座標によって決定されている。カラー・デジタル・イメージの場合、それぞれの点は赤、青、緑という三つの構成要素から成っていて、それらの比率の合成により、すベての色を再現することができる。こうしてできた正数の二次元配列は、コンピュータの記録装置に保存したり、電子的な形式のまま伝送したり、多彩なデヴァイスを使って表示したり、印刷したりできる。デジタル・イメージはデジタル・データからそのつど再生される画像であり、モノとしての画像ではなく、パフォーマンスとしての画像であり、耐久性と個別性を備えた人工物として実現される画像ではなく、支持体のない、物理的な持続性の欠けた非物質的な現象としての画像なのだ。“パースペクティヴ(遠近法、透視図法)”の語源は「通して見る」ことであると言われる。つまりデューラーやホルバインがガラスの透視装置を通して、カナレットやフェルメールがカメラ・オブスクラを通して見たように、パースペクティヴの原理は何らかの装置や物質や枠組を通して世界を感知し、認識し、把握することにあった。

ある意味で西欧近代に固有の“再現表象の秩序”として定義できる視覚秩序は、こうしたカメラ・オブスクラの原理の上にうちたてられた光学的テクノロジー、つまり15世紀におけるその出現と、19世紀における写真の発明によるその変容、そして20世紀における映画やTVの発達の奇形化と密接に関係していると言っていいだろう。

しかしデジタル・イメージにおいては、こうした何かを通して世界をとらえる必要はないし、それは何も再現表象しようとはしない。それはオリジナルな対象物の光学的な複製物ではなく、自らがかたちづくっている対象物と共存しているわけでもない。そこにはもはや現存する対象物などなく、対象物とイメージの間にあるのはプログラム言語というスクリーンだけである。そしてそのプログラム言語は見る者にとっては、触ることも、見ることもできない接近不能のものであり、いかなる言語的コミュニケーションも生じさせることはない。

エドモン・クーショがその「画像のディジタル合成」[★3]で指摘するように、デジタル・イメージは別の時間性、別の空間性のなかにあり、それは再現表象するアナログ・イメージのように、「かつて、あった」現在へと見る者を送り届けるのではなく、ひとつの「あることができる」位相へと見る者を送り出してしまう。そうしたデジタル・イメージが今や我々をおおいこみつつある。

★3 エドモン・クーショ「画像のディジタル合成」(管啓次郎訳)、『GS』5号、UPU、1987。

ポール・ヴィリリオはこうしたイメージの新しい方向性に「メンタル・イメージの外在化」という言い方で言及したことがある。つまりイメージには二つの種類があり、ひとつは光学的で、視覚的で、客観的なイメージであり、もうひとつは潜在的で、想像的で、心的なイメージである。そして実はこの光学的なイメージは潜在的なイメージに含まれるものであり、この潜在性の空間は我々をおおいつつあるデジタル・イメージの領域にきわめて近いと言うのだ。F・D・ピートにならえば、前者は顕前化されたイメージであり、後者は内蔵化されたイメージだと言えるだろうか。さらにヴィリリオは、現在のサブリミナルな視覚的効果の研究や知覚表象のスピード、テクノロジーの結合は、“眼のイメージ”ではなく、“心のイメージ”にかたちを与えようとしていて、イメージは今や眼球的なメカニズムや網膜的なヴィジョンを浮き彫りにすることから、意識や精神のメカニズムやヴィジョンを浮上させることへと移行しつつあると指摘する。

事実、映画およびビデオのカメラからCGのような視覚機械への変貌は、我々を20世紀初頭の論争へと連れ戻してしまう。心的なイメージの性格は、主観的なものか客観的なものか、という論争へ、である。観念論や主観主義の領域へ投げ捨てられるままに心的なイメージは長い間、科学的な考察を逃れてきた。それも奇妙なことに、写真と映画の飛躍的な発展によって、新しい様々なイメージが我々の慣れ親しんだ想像界との競合を始め、かつてない増殖ぶりを見せるに至っていた、まさにそのときに……視覚認知の心理学に真剣な関心が持たれるには、アメリカの60年代における電子工学やCGについての様々な仕事があらわれるのを待たねばならなかったのだ。フランスでは神経生理学上の研究が同じように心的なイメージの地位の変更をもたらすことになった。J・P・シャンジュは彼の近著のなかで、もはやイメージについてではなく、まさに心的な対象物について語り、我々はまもなくそうした心的な対象物がスクリーン上に出現するのを見ることになるだろうとまで語っている。こうして1世紀足らずの間に、この哲学的、科学的論争は、心的なイメージが客観的であるか否かという問題からそのイメージが現実か否かという問題へと移行した。従って問題は、もはやただ意識のうちにあらわれる心的なイメージの問題へとどまるのではなく、科学技術による機械映像と、そうしたイメージが逆説的に持つ現実的な性質の問題なのだ。私の見解ではそこにこそデジタル・イメージや電子工学によって可能になった合成視覚の最も重要な局面が見られるのである[★4]

★4 ポール・ヴィリリオ「潜在的イメージ」(管啓次郎訳)、『GS』5号、UPU、1987。

“写真の時代”が“異物”としてとらえられるのは、まさにこのイメージの移行のコンテキストにおいてなのだ。そうしたデジタル・イメージがあの特別な写真の時代の地層を基層からつくり直し、再構成しつつある。

しかしこのヴィリリオやクーショの論考をより精密に検討してゆくと、ある問題に突きあたることになる。つまりこの1世紀半あまりの間は、写真の客観性や現実性が揺るぎのないものと思われ続けてきた不思議な時代だったのではないかということである。写真は厳密な因果関係によって生みだされるものであり、それは現実の世界に存在する物事や事象についての客観的で正確な記録であると大方は信じられ、そのことによって光学的で、視覚的で、客観的なイメージと、潜在的で、想像的で、心的なイメージとが厳然と分別され、事実の記録と想像による生成物という二つの視覚的文脈が分離されてきた。ところが写真にデジタル・テクノロジーが深く介入するようになるにつれて、こうした確固としてあると思われていた境界や溝が揺らぎ始める。想像上の、心的なものと現実という存在論的な区別が非常に脆く、はかないものであることが明らかになってゆく。

ピエール・ブルデューが述べるように「写真がリアリズムを保証していると社会が認める時、そこに表明されているのは、客観的表現の流儀に則って現実を捉えた画像は真に客観的であるという同語反復的な確信にすぎない」のかもしれない[★5]。眼にうつる視覚的現実の断片を記録し、再現したいという欲望のために人間は写真を生みだしたわけだが、逆に写真のほうも1世紀半あまりの間に、知覚する主体としての我々の核を外側からつくりあげてきたことを忘れてはならないだろう。

★5 ピエール・ブルデュー監修『写真論―その社会的効用』(山縣熙/山縣直子訳)、法政大学出版局、1990。

遠近法とそれに必然的にともなってきたフレーム、つまり額縁という装置は視覚の制度化の始まりだった。それは世界を物質化し、視覚を通して世界を整合的に理解しようとした。人間の最初の視覚世界は流動的な地勢図のようなものであり、それは歪んでいて、きちんとした目盛りの尺度や整ったかたちの図式などとは無縁な、「連続」や「隣接」や「継起」や「重合」といった知覚概念の上に成り立っている。我々が通常“正常な視覚”と呼んでいるものも、ひとつの選ばれた視覚であり、世界自体は我々が考えている以上に流動的で豊潤な姿をしている。しかし遠近法はこの世界を科学の力によって固定し、体系づけようとした。

15世紀以降、絵画は宗教的な超越世界や魔術的な超自然の束縛から逃れ、物事の自然な秩序と法則を信ずる合理精神を育み、科学する心を芽生えさせ、現実の可視世界に自己の一点座標を張りめぐらそうとする営為を徐々に推し進めてきた。それは眼に見える可視世界を光によって把握しようとする可能性を様々に探しだそうとする試みだったといっていい。

それまでの画家たちの多くは自己の内部の心の世界を外部の可視世界と結びつけようなどとは考えなかった。精神的な、想像的な現実は、踊りや音楽などそれ自体で自律した形式を持つ流動的な方法によって表現されることが多かった。しかし15世紀頃になって画家たちはその精神的なリアリティの表現を外部世界のなるべく完全に近い模倣といつのまにか結びつけて考えるようになる。内部と外部を、眼で見え、認識できるものとして連絡させ、対象世界を視覚的に把握しようとしたのである。そして逆に見ることが内的なリアリティを支配するようになる。視覚が他の感覚とすりかわってゆくこのプロセスを見つめねばならない。

考えてみればカメラ・オブスキュラの発明は遠近法の出現を促し、遠近法の出現は人間の眼のメカニズムへの関心をあおり、見ることや描くことにあらたな光が注がれていった。認知・認識のシステムを二次元において極度に推し進めていった遠近法と呼ばれる“見ることの構造化”の技術こそ、外部を見ることと内部を描くことのインターフェイスとも言える特殊なテクノロジーであり、それはやがて写真の発生へとつながり、我々の見ることの基層をかたちづくってゆく。そして遠近法やカメラ・オブスキュラといった、眼球のメカニズムの外化ともいえる現象が、人々の視覚世界を織りあげるようになってゆく時代こそが近代の始まりでもあった。

カメラ・オブスキュラも遠近法もまだ不完全だった時代に、ルネッサンスの画家たちはその不完全な技術と知識を彼ら自身の視覚の鍛錬や想像力によって補いながら絵を描き続けていったが、それらが完全になるにつれ、やがて積極的に利用し、そのテクノロジーに導かれて風景や肖像を描くようになっていった。つまりルネッサンス以降の画家たちの多くは、ある意味でカメラ・オブスキュラと遠近法の結合の結果である写真と同じようなことをやろうとしてきたのであり、それが以降19世紀までを貫く時代の写実精神となった。彼らは眼に見える通り、本物そっくりに見えるように描くことを欲してきたのである。こうしたある特殊な精神環境のもとに、見ると描くとのあいだの距離をなくそうとする“光で描く”写真が生まれたのは、おそらく19世紀という視覚時代の必然であったのだろう。その発明と驚異的な普及は、ルネッサンス以降の遠近法的な認識と正確に照応する特定の精神構造と密接に結びつくものなのである。写真は外部の現象界を観察する意識が生む遠近法的な視覚を画面にそのまま投影し、定着させたいという欲望と直結していた。

事実、この客観性のレベルは写真術の出現まで人間が経験したことのないものであり、それまで主観的な見ることの輪に閉じこめられていた意識が、写真の出現によりかつてない風穴を開けられ、大きな異化作用を受けることになる。意識に閉ざされた絵画空間を写真は拡張し、崩壊させ、内省ではたどりつけない無意識に浸透された空間への糸口を露わにするのだ。客観的視覚の精密な追求の果てに生まれたものでありながら、人間の意識をくつがえす方法にもなってしまう写真は、その機械性によって15世紀以降の視覚的認識をたたきこわすさきがけにもなっていった。写真は“物の眼”、レンズの物質的な眼が見る外部世界の客観的な画像であり、それは絵画が推し進めてきた遠近法という認知システムの延長線上にありながら、絵画の空間的、時間的連続性とは原理的に異なっていて、こうした写真の特殊性が事物に対する人間の意識や感情まで変えることをせまっていったのである。アンドレ・バザンはこのことについてこう語ったことがある。

絵画と比べて、写真の独自性はその本質的な客観性にある。実際、人間の眼に取って代わった写真の眼を構成する一組のレンズは、まさに〈客観的なもの(オブジェクティヴ)〉と呼ばれているのである。最初の事物とその表現の間にもう一つの事物以外は何一つ介在しないというのは、これが初めてのことだった。厳密な決定論に従えば、外部世界の像が人間の想像的干渉なしに自動的に形成されるというのは、これが初めてのことだった[★6]

★6 アンドレ・バザン『映画とは何かI』(小海永二訳)、美術出版社、1967。

アンドレ・バザンはまた写真の発達を造形美術の歴史における最も重要な出来事と呼んだことがあるが、その理由として彼は、写真によって人々が自然のなかにある何かとの関係によって絵画の存在を正当化することをやめ、絵画それ自体として賛美することができるようになったことをあげていた。

しかし今、自明のものと思われていた写真と自然のなかにある何かとの客観的な関係そのものが疑問視されるようになっている。ダゲレオタイプが発明された時、それは“記憶を持った鏡”と呼ばれたが、写真の視覚を再構成し、異質なものに塗り変えてしまうデジタル・イメージは“ディスプレイを持った記憶”と考えることができるだろうと、ウィリアム・J・ミッチェルは指摘した。デジタル・イメージにおいては用意された表示プロセスのどれかを選んでパラメータを調整すれば、様々な形で加工され、変形された画像を作り出すことが可能だ。そのことは我々とイメージの関係が本質的に変容してしまったことを示している。さらに言えば我々はもはやデジタル・イメージをただ見るだけの位置に甘んじている必要はなく、そのイメージの内部に積極的に関与し、移り住み、じかに対話することさえ可能になっている。

コンピュータで作成する透視図は、我々をさらに危うい場所に追いやってしまいかねない。現実世界の境界を超え、身体を喪失して視覚のみの存在となった我々は、モデルとして構成された虚構の世界に押し込まれてしまうかもしれない。かつてデザイナーたちが描き出し、映画監督たちが想像し、夢想家たちが探し求め、偽善者たちが差し出してみせた三次元の虚構の世界――それはこれまでも、現在も、また将来も人間が求めてやまない世界である。デカルト流の二元論をはるかに越えた形で、我々の知覚能力は肉体存在から切り離され、身体がとてもついていけないような場所へと送り込まれていったのだ。透視図としての写真の流儀に自らをぴたりと適合させることにより、コンピュータによる透視図は、写真が確信を持ってせつせつと記録してきた三次元の現実世界と虚構の世界とを地続きにしてしまう。コンピュータの作り出す透視図に写真のようなリアルな陰影を与える技術が進んで、画像だけからそれぞれを見分けることが不可能になれば、現実世界と虚構世界との境界を判別したり維持したりすることはますます困難になるだろう。我々はそれと気づかないまま、この境界を超え、幻影のような立場に身をおこうとしているのかもしれない。[★2]

★2 ウィリアム・J・ミッチェル『リコンフィギュアード・アイ』(伊藤俊治監修・解説/福岡洋・訳)、アスキー出版局、近刊。

かつては身体系の一回路として人間のなかに組み込まれていた眼が人間を離れ、科学技術と表現の精密なメカニズムを通してまったく新しい視覚を獲得している。

我々がこれまで日常の拠りどころとしてきたユークリッド空間が実は複雑に織りあげられ、条件づけられ、生理学的な仕組みによって支えられた一種の錯覚であり、我々が組みたてたひとつのイメージにすぎないことを示してくる。そこでは我々はこの現実世界で縛られている固い空間性や物理法則に従う必要はなく、あたかも夢の内部にいるかのように次々と幻影的な、しかし現実感あふれる視像が形成されてゆく。

繰り返すが、19世紀中葉、写真という映像メディアの出現を中心とする大きな視覚世界の変動が人間社会に起こった。しかし、心のイメージと眼のイメージの関係も含め、その新しい視覚装置が巻き起こした変容が実際にどのようなものであったのかを正確に知ることは今となってはもはやできない。「写真は心を奪う」や「写真は人間の影である」といった、当時流布された言葉がその変容の残り香をわずかに伝えているにすぎないからだ。しかし大切なことは眼のイメージと心のイメージの関係の変転が写真の発明を契機に連鎖的に起こっていったということであり、さらに重要なことはここ10年あまりの間に、写真が出現してきた時代と同じくらい大きな視覚意識の変容に我々がさらされているということだろう。

視覚装置史のような視点から、この200年あまりの映像メディアの流れをたどってゆくと、ちょうど200年前に写真の母体とも言える光学装置であるパノラマが生まれ、その半世紀後に写真術が公表され、そのまた半世紀後に映画が発明され、さらにその半世紀後に世界初のTVの商業放送が始まっているという興味深い事実に気づく。この2世紀の間、半世紀ごとに新しい視覚装置が考案され、その合間合間にも無数の視覚機械が登場し、ヴァルター・ベンヤミンがパノラマとともにパノラマ的人間があらわれると言ったように、そのたびごとに人間の意識構造もまた変わり、そうした視覚メディアの登場が従来のメディアの構造をも組み替えていった。そして今、またCGやVRといった新しい映像メディアが次々とあらわれ、さらなるステップへと進もうとしている。

パノラマ、ジオラマ、写真、ステレオスコープ、映画、TV、ビデオ、CG、VR……。見逃しがちだが実はそうした視覚メディアには、そのメディア特有の秩序や構造が内包されている。そしてそれらのメディアはそれを受けとめる人々の現在意識を変容させ、認知・認識の方法を変えるだけでなく、時間や空間の感覚を変質させてしまう。

視覚装置は人間の見ることや描くことの欲望や意図を明らかにする。我々の欲望や意図が視覚装置をつくり、逆にまた視覚装置が我々の欲望に入りこむことによって我々は欲望に身を委ね、自身の意図を露わにする。その流れには人間が世界をどう見ることを望んだのか、人間が世界や時代をどう変質させようとしたのか、人間が自らの感覚や感情をどう変形させようとしたのかの歴史が示されている。

おそらく今、見つめなくてはならないのは、我々がこの2世紀あまりの視覚装置の変遷史でも、最も大きな変容のなかで深い分裂を余儀なくされているということだろう。我々はある大きな切断面に直面している。この亀裂は決定的なものであり、新しいイメージをつくりあげ、コントロールし、普及させる技術の出現は、我々の視覚のあり様が根底から組み替えられつつあることを示している。そして実はそうした分裂を強く意識するという場においてこそ、今起こりつつある歴史的な視覚意識の移行プロセスがより鮮明に、より精密に感知できるような気がする。その変容の断層やズレや揺らぎの合間から、見ることそのものの内部へ入りこむ糸口が見いだされるかもしれない。今まで我々があたりまえのように受け入れてきた見ることはどのようにしてつくりあげられ、現在はどのようになっているのか、そしてそれはこれからどんな方向へと進みつつあるのか、そうした状況のなかで見ることの始まりに戻って、見ることそのものを問い直すためにはどのような方法が考えられるのか、そのことが近年のめまぐるしい映像メディアの変遷をきっかけに問われようとしている。


参考文献
伊藤俊治『寫眞史』朝日出版社、1992
ジョン・バージャー『イメージ』(伊藤俊治訳)、PARCO出版局、1986

伊藤俊治(いとう・としはる)
美術史・映像論

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