IC21-7
Erewhonのひそみに倣う
海市――もう一つのユートピアをめぐって
[掲載日:]
新たな「計画」概念を求めて
浅田――僕は当初からICCの企画にかかわって,旧来の美術館の枠を超えた新しい文化センターのようなものができないかと考えてきました.とくに,オープニングにあたっては,一方の常設展示スペースでは,10組のアーティストによるインスタレーションが立ち上がってくるので,もう一方の企画展示スペースでは,いわゆるアートの枠を超えた,多層的な広がりをもつ企画から出発すべきだろうということになったわけです.それで,これはもう磯崎さんに頼むしかないだろう,と(笑).
その段階では,新しい情報空間を建築家としてどう見ていくかという一般的なテーマを考えていたわけですね.具体的には,磯崎さんにいわばボスになっていただき,メディアとの密接なかかわりのなかで仕事を始めた若手の建築家やデザイナーを組織していって,メディアの迷宮とでもいうような空間をつくったら面白いんじゃないか,と.するとたまたま磯崎さんのほうに,ちょうどそれにマッチするプロジェクトがあった.それがこの「海市」だったわけです.
磯崎――そうですね.僕はその話を聞いて,昔のスタイルの自分の作品展というようなものではおそらく意味がないだろうということはすぐ理解できたんですが,さてどうしたらいいかなと思っているときに,たまたまちょうどその時期に始めていた「海市」のプロジェクトがあったわけです.僕はそこでいくつかの新しい問題を考えたいと思っていたんですね.
そのひとつは,「計画」という概念を洗い直してみるということです.都市を計画するといっても,いままでどおりの制度や手続きを介してやっていったのではそれ以上の変化は望めないので,これをこの際,徹底的に根底から考え直すやり方はないだろうかということでした.
もうひとつは,「ユートピア」という概念を考え直してみるということです.「計画」概念とも結びついているんですが,近代のすべてのデザインやプランニングは一種のユートピアを目指すことによって編制されてきた.これをいまの時点でどう見直していったらいいかということですね.
それから,今度は「メディア」の問題がある.具体的に新しいメディアが生まれてきつつあって,これはメディアとしての政治性をもってもいると言っていいんじゃないかと思うんですが,そういう政治性をもったメディアを介して,「計画」に対する新たな視点が生まれてこないだろうかということです.
そういうことを考えながら,具体的には「海市」というかたちをもった人工島の都市をつくるというプロジェクトを,中国のマカオに隣接する珠海という都市に向かって提案[別掲コラム参照]していたんですね.そのときに偶然ICCの展覧会の話があったんで,それならばいま言ったような問題を一切まとめて具体的にシミュレートしてみてはどうか,ということにしました.

- 珠海周辺
実際,もしこれをわれわれが通常やっている計画の進め方で考えていくと,建築家と地元の自治体が組んで,投資家を探して,ディヴェロッパーをかませて,という開発の仕方にしかならない.それだけやっていたのでは限界が見えていて,なかなか新しい問題まで到達しないわけです.
これをメディアの実験として組み立て直していけば,複数の建築家の参加であるとか,いろんな人の介入であるとか,パブリシティの仕方であるとか,そういうことが別なフェーズで可能なのではないか.いきなり具体的なプロジェクトとは結びつかないのは仕方ない,それは別個に進めながら,ここではメディアを中心とするパフォーマンスをしてみる.その結果,次のフェーズが見えてくるだろう,と.それは,僕にとってみると,このプロジェクトを次のステップに進めるためのとてもいい機会だなと思ったんですね.
具体的には,「海市」計画は,浅田さんと共同のレポートとして,1995年にソウルで開かれた〈Anywise〉コンファレンス[★1]で発表した,それが公式には最初の発表です.
★1――1991年ロサンゼルスのポール・ゲッティ財団で開催された〈Anyone〉を皮切りに2001年まで世界各地を巡回する,建築を核とする国際的なシンポジウム〈Any〉コンファレンスの5回目(1995).
それをもう少し具体的なかたちにして,1996年のヴェネツィア・ビエンナーレの国際建築展[★2]に招待されたとき,そこで展示した(これは僕がコミッショナーとしてやった日本館の阪神大震災をめぐる展示とは別です).それが2度目の発表です.
★2――第6回展.1996年9月15日―11月17日.セントラル・パヴィリオンで“Sensing the Future - The Architect as Seismograph”というテーマのもと,現代建築をリードする39グループの著名な建築家が参加,日本からは安藤忠雄,磯崎新,伊東豊雄の各氏が参加.
それから今回,改めてフェーズを変えてICCでやる.これが3度目の発表になるわけですね.そしてごく最近になって,ICCでの展覧会が終わったら,韓国で秋に開かれる光州ビエンナーレの「都市」をテーマとするセクションにその成果をもっていく,という話がもちあがっています.いまのところ,そういう状況ですが,こういうかたちでプロジェクトをすすめると,世界の各地からじつにさまざまな反応があります.
「海市」計画の概要
1) 発端:
1999年のマカオの中国本土への返還を機に,新たな政治・経済特別区をつくる構想をもっている珠海市より,磯崎新が開発計画の策定を依頼されたのは1993年.翌94年9月,作業グループは調査を兼ねて同市を訪れ,「海市」構想の最初の提案を行なった.

- 東アジアのほぼ中心に位置する珠海
2) 場所:
珠海は香港の西約70キロメートル,中国三大長流のひとつ珠江のデルタのほぼ中央に位置し,マカオに隣接する.デルタ内の人口は1995年現在で約4000万人とされ,2010年にはその1.5倍になると予測されている.亜熱帯の海洋性気候と清澄な自然環境に恵まれた珠海は,1980年に「経済特区」を創設して以来中国内外の輸出指向型合弁企業の基地や窓口として急成長を遂げている.「海市」計画は,この珠海の南東端にある横琴島(9000ヘクタール)の南岸とその沖合で展開される.

- 計画地周辺
3) 名称:
「海市」は「海上の都市」という意味のほかに「蜃気楼」をも意味する.海上都市の建設計画は,現行の政治的・社会通念的な諸制度と断絶した別種の世界を組み立てることも想像上可能ということで,「もうひとつのユートピア」として語られる.
4) 内容:
ハイテク産業,流通基地,金融センターや政府系業務施設,文化娯楽.リゾート施設,住宅等が開発され,これに関連して広州や周辺地域と結ぶ幹線道路網整備と鉄道の新設が計画されている.空路は1995年より珠海空港とマカオ国際空港が供用開始となり,香港新国際空港の開設も見込まれる.また,「海市」計画を含む一帯をリゾート特別区とする構想が浮上しており,その関連で,香港と珠海ないしは直接に横琴島を連結する海路・トンネル・橋梁などが,さまざまなかたちで構想・検討されている.
(同展カタログより抜粋)
インタラクションの階層展開
浅田――最初にお願いしたときは,磯崎さんには統括的な立場に立っていただき,実働部隊としては,メディアと接触して仕事をしている若いアーキテクトやデザイナーにどんどんやってもらおうという見込みだったんですけれども,磯崎さんが随分やる気を出されて,非常に具体的なものまで含んだ大きなプロジェクトを出してこられたので,嬉しい驚きを感じるとともに,多少は当惑もしたわけです(笑).
しかし,一方でそれは具体的な計画として提案されるけれども,ここではむしろ,そういうプロトタイプに対していろんなレヴェルで外からの介入があり,それによって計画が変容していく様を一種のメディアのパフォーマンスとして見せようということなので,最初の意図に合ってきて,こちらとしてもほっとしたわけですよ.そういうインタラクションをいくつかの階層に分けて展開しようというのが,磯崎さんのアイディアですね.
磯崎――そうですね.もともとICCのために「インターコミュニケーション」という言葉が造語されていた.コミュニケーションというのは本来双方向の通信ではあるんだけれど,それをもういっぺんはっきりさせるために「インター」を付けて双方向性を強調しているわけですね.
それで,この「インター」という言葉を受けて考えていくと,「インタラクティヴィティ」に始まって,たとえば「インターコミュナリティ」,「インターテクスチュアリティ」,「インターサブジェクティヴィティ」,「インターコミュニカティヴィティ」とか,そういうようなかたちで,いままで僕らが原理として使ってきた共同体やテクストや主体というふうなものまで含めて,全部インタラクティヴに考え直していくことができるのではないか.そういうインタラクティヴィティを可能にするテクノロジーが新しいメディアなのではないか.そのメディアを用いて具体的にどういうふうにもっていったらいちばんよくものが見えてくるかということになったわけですね.
そこで,4つの異なったプランを考えました.まず,「プロトタイプ」というのは,前からやってきたプランをもういっぺん整理したものです.これもまた会場で少しずつ変化をさせようというふうに思っています.コンピュータ・ウイルスのようなものに感染させて組み合わせを変化させようと考えています.ここではとくにインターテクスチュアリティの問題を考えている.全体は風水のコンセプトに基づいており,中国の伝統的なビルディング・タイプをいくつか取り出して,そこにアダプトするように変換を加えながらはめ込んでいくというやり方をとっているわけです.ある意味で言うと,古い時代からの遺産(ヘリテージ)とのダイアローグで組み立てていくという考え方ですね.
次に,「シグネチャーズ」というのは,文字通り名のある建築家やプランナー,自分のサインが刻印されているデザインをしてきている人たちを数十人 招待して,いろんな建物をデザインしてもらい,場合によっては相互関係で変化させていくというものです.
「海市」というのはひとつの島です.前に浅田さんと〈Anywise〉コンファレンスで報告したときに言っておいたように,全世界が,いまのような国民国家(ネーション・ステイト)に分かれたかたちから,いわば群島(アーキペラゴ)のようなかたちに再編されていくのではないか.そのひとつの単位として「海市」という島があると考えてみてもいいのではないか.日本的用語でいうと“しま”ですね.
さらに,そういう島同士のネットワークのステーションをここでモデル化してみるとすれば,別な島の住人になるはずの建築家をともかくグローバル・ネットワークを介して集めてきて,それぞれの人のもっている記憶であるとか,自分の手の痕跡であるとか,そのすべてをもういっぺんここに集合させてみることが考えられる.ネットワークによるコラージュみたいなものですね.違う場所に住んで違う考え方をしている人たちの違ったデザインがこの島に寄せ集められてくるわけです.
そのためには,そういう人たちを招待する「場」をとりあえず設定しないといけない.そこで,ピラネージが18世紀に古代ローマの中心を創造的に復元した≪カンポ・マルツィオ≫という図面がありますが,その図面の中心の大きさがいま計画している「海市」の大きさに近いので,それをそっくりそのまま,仮定された初期条件を設定するためのベースとして「海市」に貼り付け,下敷きにしてしまうというアイディアです.

- ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ
《古代ローマのカンポ・マルツィオ》(1762)
その図面に描かれたさまざまの建物のある場所に,世界にばらばらに住んでいる人たちを招待して,デザインをしてもらい,署名をしてもらう.それらの間でコンフリクトが発生したら,もとのデザインを文字通りインタラクティヴに変形していってもらう.こういうことをやる過程を実際に見せようというわけです.そこで使うコミュニケーションの手段は,もちろん昔ながらのファクスもあるし,メールもあるし,インターネットを介してくる人もいるかもしれないけれども,会場では具体的に模型をつくり変えていくことになります.
3つ目の「ヴィジターズ」は,会場に来た人たちの参加によってプランが変化していくというものです.展覧会は12週間続くわけですけれど,デジタル・アーキテクトと言われるようなメディア時代の建築家やアーティスト に,1週間ごとに責任をもってもらい,自分がそこで提案をし,その間に会場に来る人たちと会話をし,彼らのアイディアも取り込んで,そこであるかたちのプランをつくってもらって,それを今度は次の人にバトン・タッチするわけです.
言ってみれば,プランをチェーンとして組み立てているわけで,連歌と同じやり方ですね.しかも,先程の「シグネチャーズ」は空間的に分布させてあるわけですけれども,「ヴィジターズ」は時間的なチェーンとしてやりたい.そうすると,前の人のやったことに対して,次の人がそれを壊したり,ずらしたり,いろいろしてしまうだろう.しかし,それはそれで,そういうやり方で進行してもらうのがいちばん面白い.せいぜい僕にできることがあるとすれば,そのときあんまり大きな事件が起こりそうだったらその交通整理をやるということぐらいです(笑).
現実に,3月からすでに,とりあえず最初のプロトタイプを下敷きに,インターネット上で連歌のようにアイディアをやりとりしている.アプローチの仕方とかやり方が各人各様で,それぞれ前の人のを受け取りながらやるから,応答のプロセスが非常に面白いですね.これを具体的なモデルにしながら長期的に続けてみようというわけです.
4つ目の「インターネット」 というのは,情報網の上だけでプランを組み立てうるかどうかということがテーマです.ただ,さまざまな操作はできるんだけれど,白紙のままで操作することはできない.最初にちょっとでも手がかりがないといけない.大まかな輪郭のようなものとか,物事を発生させるルールとか,そういういくつかの初期条件が決まっていないと事が動かないわけです.
さしあたりは,ヴェネツィアのサイズが「海市」のサイズとほぼ同じですから,ヴェネッィアに教会が何百とある,その教会の分布図に合わせて,島の中に点を分布させてあります.それで,人工生命のアルゴリズムによって,それぞれの点が引力をもって他の点を引き寄せ,確率論的にゆらぎながら離合集散して,自己組織的にパターンを形成していくようにしてあるんですね.それをとりあえずのきっかけとして,いろんな人たちがインターネットから送ってくる情報をそこへ入れてふくらませていこうと考えています.
以上,「プロトタイプ」「シグネチャーズ」「ヴィジターズ」「インターネット」という4種類のものが12週間にわたって刻々と変化していく,その変化の全プロセスを見せることが展覧会だという考え方なんです.

- 「海市――もうひとつのユートピア」展 会場構成
浅田――都市計画というと,かつてもいまも,単一の計画主体が全体を一貫したかたちで構想するというのが普通ですね.バロックで言うと,いくつかの軸線から都市をつくっていくわけで,パリなんかでも結局オスマン[★3]からミッテランにいたる過程でそれが実現されたようなものでしょう.
★3――Georges-Eugéne HAUSSEMANN.1809-91.フランスの政治家.ナポレオン3世に協力して首都パリの近代化のために大規模な都市計画事業を実施,道路網の整備,教会,劇場,公園,橋,駅などの建設,上下水道,ガス照明設備の拡充,郊外地区の合併による市域拡大を行なったが,その強引なやり方は批判をまねいた.今日のパリの外観は,彼の事業に負うところが大きい.
近代になると,グリッドが主流になり,たとえばマンハッタン全体をグリッドにしてしまうとかいうことになる.さらに,それを白紙からやってしまおうというので,ブラジリア[★4]とかチャンディーガル[★5]とかいったモダニズムの都市計画があったわけです.
★4――ブラジルの首都,高原につくられた人為的な都市.内陸部開発のため,リオ・デ・ジャネイロからの遷都を目指して,1956年に行なわれたコンペで一等になったL・コスタの設計に基づく.飛行機の平面パターンの胴体部に政治・経済・文化の中枢地域を,両翼部に住宅部をおく.遷都は1960年.
★5――インドのパンジャブ州の州都.当時の首相ネルーに任命されたル・コルビュジェが1951年に基本計画を完成.人体のアナロジーといわれる格子状パターンを7段階に機能分けした道路網が特徴.格子状のユニットはセンターと呼ばれ通過交通を締め出した生活環境が考慮されている.
磯崎さんのおっしゃったことは,そういう「計画」概念を脱構築するということですね.ひとつには,単一の計画主体が,一貫した,言い換えれば閉じたかたちでつくるプランではなくて,つねにいろんな人が介入してきてコンフリクトも起こしながら開かれたかたちで変化していくようなプランを考えよう,と.それから,白紙からすべてをデザインするのではなく,捏造されたプレテクストかもしれないけれど,とりあえずピラネージとかヴェネツィアとかいったプレテクストの上に重ね書きしていくようにしよう,と.
磯崎――そうですね.あと,「プロトタイプ」は風水が下敷きになっているし,「ヴィジターズ」については連歌というメタファーがある.そういうプレテクストをどれもちょっとずつもっているんです.
浅田――だから,文字どおりインタラクティヴな計画というか,無計画性の計画というか.逆に言うと,磯崎さんは非常にずるい位置に身を置いていらっしゃるわけで(笑),素晴らしいものができたら自分の手柄だし,メチャクチャになったらそれは実際にやったヤツが悪いということになるわけですよね.
磯崎――そのとおりですよ(笑).
浅田――ともあれ,良くも悪くも,いわばメタプロジェクトというか,いろんな人がいろんなプロジェクトを投げかけて,それがボールのように衝突し合いながら自己組織的にパターンをつくりあげていく,そのための条件を上から設定してやるという意味では,単純にひとつのレヴェルで単一の計画主体が一貫したプランを描くという「計画」概念を超えて,高次元への展開を図ろうとする,とても面白い試みだと思うんです.
磯崎――まあ,ねらいとしてはそういうことです.
「メタボリズム」を振り返って
浅田――そこで,磯崎さんが昔メタボリズム[★6]のいわば最後尾におられた,その当時のことをちょっと思い出すんですが,メタボリズムというのは,少なくとも物質=エネルギーの次元で,建築や都市を,閉じたシステムではなく,つねに新陳代謝して変化していく開かれた有機的システムとして捉えようとしたわけでしょう.「海市」に引っかけて言えば,丹下研究室による東京湾上都市の構想(「東京計画1960」1961)などというのもあったし,1980年代に黒川紀章が似たような計画をまたもち出したりもした.ああいうメタボリズムのヴィジョンを,いま振り返ってどう思われますか.
★6――Metabolism.1960年,東京で開催された世界デザイン会議を機に立ち上がってきた建築思潮.大高正人,菊竹清訓,黒川紀章,槇文彦らが参加.本来は新陳代謝の意味.都市や建築を変化するダイナミックな過程として生物学とのアナロジーでとらえようとした.
磯崎――メタボリズムの問題は,クリストファー・アレグザンダーの言う「ツリー」と「セミ・ラティス」の議論にほとんど集約されているんじゃないかと思うんです.ツリーというのは,文字通り幹があって枝があって葉があるというかたちですね.二進法,あるいはそれを複数化しただけのものが,一本調子にずっと展開していくわけです.それに対して,セミ・ラティスというのは,分岐していった先がまた隣とくっついちゃったりして,結果的に網の目ができ上がっていくんですね.ドゥルーズとガタリがツリーに対置した「リゾーム」もそれと同じだと言う人もいます.
その場合に,60年代の限界というのは,どんな計画をしても全部ツリーになってしまうというパラドックスなんですね.それでアレグザンダーが「都市はツリーではない」という皮肉な論文を書いて,生きている都市はツリーではないにもかかわらず,都市計画はル・コルビュジェから丹下建三にいたるまでどんな人がやっても全部ツリーにしかならないことを数学的に証明してみせた.
ツリーというのは,一種の自己言及性の問題であるわけですね.単一の創作主体の枠からはみ出すことのできないなかでのもののつくられ方では,どうしても一本のツリーにならざるをえない.それは「建築」ではあるかもしれないけれど,「都市」ではないのではないか.それでアレグザンダーは,建築でさえ都市的につくられるべきだ,いまふうに言うならば他者がたくさん入ってきて違う要素がいろいろ重なり合うようなものとして構成されてしかるべきだ,というふうに言い始めるわけです.
この問題を,メタボリズムはおそらく解けなかった.つねに,スターの建築家が,相変わらず昔ながらの主体として自分のデザインを決めてきた.自分のサインしかそこにない.その仕事のやり方を崩す以外に,じつはセミ・ラティスにはなかなかいかないんです.
現に,アレグザンダーは,セミ・ラティスを生成するのに,「パターン・ランゲージ」という方法を組み立て,群論なんかを使って,ツリーが崩れていくような方法論を編み出したんですが,自分の事務所でひとつの建築の設計をやると結局また同じになっちゃう(笑).それで,彼の場合には暗礁に乗り上げたというのが実情だと思うんですね.
そこへ,メディアが,つながっていないものまでつなげてしまうような,言い換えれば,すべての他者を容認してしまえるような,そういう仕組みを具体的に可能にしはじめた.これを手がかりにするのが,いままで議論されてきたような限界を乗り越えるための方途になるんじゃないか,というのが僕のいまの考えなんです.
そのメタボリズムの展覧会で,僕はひとつの実験をやったことがあるんです.たまたまそのときに,《ジョイント・コア》と称して,インフラストラクチャーを地面に埋めるんじゃなく,空中に垂直に立て,その間をオフィスや住宅でつないでいく,という構想をもっていた.イメージとしては,一本の樹じゃなくて,たくさんの樹が森になり,葉と葉がつながって,そこで一種の迷路が空中に生まれてくるようなものをつくりたいと思っていたわけです.
その原型になるイメージはポロックですね.ドリッピングによって,さまざまな色の線が一つの面上に不確定性をもって重なり合い,空間を決めていく.そういうことを考えて,システムをつくるにはつくったんですが,やっぱり自分がやるとどうしても自分がきれいだと思うかたちにしてしまうわけね(笑).だから,別なシステムが要るんです.
それで,展覧会場[★7]に五寸釘と色のついたワイアーを何種類も用意して,東京の一部の航空写真を貼った大きな台を置いて,来た人に釘を打ってもらうと《ジョイント・コア》が建つ,それをワイアーで横につないでもらう,そのシステムだけを置いて自分は展覧会場から姿を消したわけです.そして終わりの日に行ってみたら,まあとにかく信じられないようなクモの巣が出現しているんですね.台の上だけでやってもらうはずだったのに,会場の壁とか天井まで全部つながっちゃっているわけですよ(笑).
★7――1962年秋に池袋の西武デパートで開催されたメタボリズムのグループ展「未来の都市と生活」.メタボリズムのメンバー以外に高山英華,丹下健三,大谷幸夫,磯崎新氏等が参加.
それで,若干整理をして,当時「都市は廃墟になる」といつも言っていたものだから,これを廃墟に埋め込もうというので,石膏を溶いて,バケツに何杯か担ぎ込んで,上からドリッピングしたわけです.それですべてを石膏の中に埋めた.都市を灰に埋めたというわけですかね.

- 磯崎新《ジョイント・コア》「未来の都市と生活」展(1962)より
浅田――それは,いわばメタボリズムの終わりであると同時に,今回の展覧会の始まりでもあるわけですね.
磯崎――そういうわけですね.その間35年経っちゃいました.やっぱりそのなかでの最大の変化は,メディア・ネットワークの発展ですね.イメージはそれほど変化してないんですが,これが入ってきたということが全然違います.
浅田――いまの話を別の角度から見ると,大ざっぱにいって,機械モデル,生物モデル,情報モデルというのがあるとして,メタボリズムは,機械モデルでは駄目だ,生物モデルでなければならない,と言ったんだけれども,建築や都市をひとつの目的をもったひとつの有機体としてつくっちゃうから,どうしても幹と枝葉とか,脊髄と臓器という,ツリー状の構造から逃れえない,それを今度はもっと情報的な次元にもっていくと,それが本当にセミ・ラティスになるというか,もっとダイナミックに動いてリゾームになるというか,良くも悪くもそこまで一回行ってみないとだめだという臨界点にいま立っているんだと思いますね.
有機体モデルでいくと,都市なら都市をひとつのシステムとして考えてしまって,それが存続するためにはこれこれの条件を満たさなければならないということになって,そうするといわゆるインフラストラクチャーを幹や脊髄みたいなかたちでつくって,それにオフィスなり住居なりが取り替え可能な枝葉や臓器のようなかたちでくっついていって,というかたちになる.それはじつは都市ではなくて,ひとつの有機体なんですね.
磯崎――そうね.言い換えれば建築物ですよ.建築とアーバニズムをどこで区別するかと言うならば,要するに,ひとつのシステムでやるのが建築物であり,複数の他者が入ってくるのが都市だと思うんです.

- 磯崎新《ジョイント・コア》
「未来の都市と生活」展(1962)より
浅田――あるいは,有機体モデルでいくと,結局,現在から未来へ向けての成長ばかりを考えることになる.もちろんメタボリズムという名前の通り新陳代謝はあるけれども,老廃物とか死とかいうのは新たな成長のためのものでしかないわけです.そうすると,それが現実に資本の論理と結合するとき,スクラップ・アンド・ビルドでどんどん大きく成長しようということになる.
だから,メタボリズムは理念としては面白いところもあったけれども,実際は日本列島改造ブームに乗って大量生産・大量消費・大量廃棄のサイクルを建築や都市のレヴェルで大きくやってみせただけというところに行き着いてしまった.まだそれをやっている人もいる(笑).
ところが,磯崎さんの場合,最初から異質だったのは,一方向にリニアに成長する時間というよりも,むしろ未来の果てまで行ってしまうとそこに最初の廃墟があったというふうな時間の屈折や重層性が発想の原点にあったことだと思うんです.
今度も,それこそ何の関係もないピラネージの図面なり,あるいはヴェネツィアの町のパターンなりが,いわば人工の廃墟みたいに,とりあえずのプレテクストとして与えられていて,その上にいろんなものが重ね書きされていくけれども,それがまた最終的には一種の廃墟に行き着くかもしれない.その辺がメタボリズムとは全然違うところですね.
都市というのは,さっきおっしゃったように複数の他者が矛盾をはらみながら共存するということもあるけれども,それをさらに別の角度から見れば,重層的な過去の記憶がプレテクストとして与えられていて,その裂け目から死が顔をのぞかせているというのも,重要な部分でしょう.
だから,メタボリズムがもっていたある種の有機体的統一性を解体するということと,ひたすら未来に向かって成長していくリニアな時間性を解体するということが,都市へ向かうための不可欠のステップなんだと思います.
磯崎――まあ,時間については僕はそれくらいしか語っていないということかもしれませんけれど(笑),しかしそれはリニアになるかノンリニアになるかという問題とも絡んできます.計画もノンリニアなかたちで組み立てる可能性が出てくるだろうというようなことも,テーマ・パークなんかのことを考えながら言ったことがあります.「海市」も,ある意味では,その延長上にあるわけです.
フリーズ問題
浅田――逆に言うと,今度は完全にデジタルな世界だけでやっている若い世代のアーキテクトやデザイナーの場合,コンピュータ・ディスプレイのなかではどんなかたちも可能だし,どんなふうにでも変化させていける,そうするといったいどこから始めてどこで止めたらいいのかという問題が生ずるんですね.
磯崎――そのとおりです.それと同じ問題に,僕はメタボリズムの時代に行き着いてしまったんですよ.たとえば建築をひとつの有機体として成長させていく,変化させていく,それは結構だ,だけどそれだけでは具体的に建築物にならないんですね.建築物は,どこかでその変化のプロセスを止めないと,設計して工事にかかれない.では,どこで止めるのか.コンピュータの画面でずっとかたちが動いているのを,どこかでパッと静止させますね.その止めるということは何なのか.これがいちばん大きなテーマになるでしょう.
浅田――それがじつは政治だったりするわけですね.
磯崎――そうです.60年代に僕がそれを考えたときには,それは「切断」という行為なんじゃないか,と思いました.要するに,建築家が介入して,そこでひとつの切断面をつくるわけです.僕の建物はほとんどそうなんですけれども,その切断面を見せることがデザインだし,エレヴェーションだし,ファサードだし,ということにしつづけてきました.
当時の文脈から言っても,「切断」というのは非常にプリミティヴなわけですよ.建物の図上のシミュレーションでパッと止めるだけですから.今度はそれをコンピュータ上でどうやるか.これは次の問題なんです.デジタル・アーキテクトがそこでどういう方法論を示してくれるだろうか.僕はそれを期待して見ているところです.
浅田――逆に言うと,デジタル・アーキテクトが,そういう切断や,それにまつわる政治性に直面しなければ,いつまでもコンピュータ・ディスプレイ上で遊んでいるだけで,文字どおりものにならないだろう.ディスプレイ上ではつねに生成変化して面白いんだけれども,フリーズしてモデルをつくったとたん全然つまらなくなる,ましてやそれを建てたら目も当てられないということが,現在のかなり大きな問題じゃないでしょうか.いわばフリーズ問題ですよ.
磯崎――いま,いろんなプロジェクトを見ていると,みんなそこに行き着きますね.
浅田――ヴァーチュアリティという言葉が流行っていますけれども,ああいう種類の,ディスプレイ上ではどんなかたちでも可能だし,どう変えることも可能だという話は,じつはポッシビリティに関する話でしかないんですね.いわゆる可能世界の幻想です.
この世界では重力がある,しかし重力のない可能世界ならこんなかたちも可能だ.あるいは,この世界ではいろいろ建築の規制がある,しかしそれがない可能世界ではこんなものも建てられる.そうやって可能世界で無限のトランスフォーメーションの可能性と戯れるという傾向が,SF的メンタリティをもついまのCGアーキテクトにかなり広く浸透しているのは事実でしょう.
しかし,現実にはそれをどこかで止めなきゃいけない.それに際しては,自分がここがいいと思って止めるだけじゃなくて,自然環境もあれば,技術的可能性や経済的可能性もあれば,クライアントの希望や社会的規制もあるわけでしょう.
あるいは,別の角度から見れば,止まったものをさらに動かすというか,止まったイメージに別のヴァーチュアルなイメージを重ねるというか,本当はそこが力量の問われるところなんですよね.また,それこそがヴァーチュアリティというものの本当の意味だとも言えるでしょう.
磯崎――そうですね.やっぱりどこかでフリーズしてもらわないといけません.そのフリーズは,自分で決めるものなのか,他動的に決まっていくものなのか.おそらく僕はそのロジックをプログラムのなかに入れるのは無理なんだろうと思う.そうすると外から入り込まないといけない.それはやっぱり政治ということなんでしょうね.
浅田――プログラムのなかで停止させるためには,たとえば一種の均衡状態に達したらそこで止まるとか,これ以上インタラクションの余地がなくなったら止まるとかいうことになって,そうなるとだいたい非常に予定調和的なところへ行ってしまう.むしろそこに他者が介入して,あるところで止まらざるをえなかったとか,あるいは止まったのにいかに動いているかのように見せられるかとか,そこで本当の意味での緊張度のあるデザインが出てくると思うんです.
磯崎――そうするとやっぱり時間切れなんかが決定的に作用をしたりして(笑).
浅田――そうそう,それがつねに問題なんですよ.
磯崎――「曲水の宴」というのがあって,上から流れて来た前の人の歌を見て,すぐに歌わなきゃいけない.もうあせっちゃうわけですね.このあせり方というか,時間切れの切羽詰まった状態というのが,物事を決めていく手がかりになるわけです.
浅田――他方,可能世界というのは,言い換えれば多時間世界ですから,いくらでもリプレイできるわけで,締め切りがないと言えばないんですよ.だけど,現実においては必ずや締め切りはあるんです.そういう不可逆な時間の流れのなかで,とにかく止めなきゃいけない,しかし止まったアクチュアルなイメージが,ヴァーチュアルには別様にも見えるというようなことが,いまいちばん重要な問題だと思うんですね.普通言われるヴァーチュアル・リアリティというのは,そういうリアリティから逃避するための可能世界(ポッシブル・ワールド)でしかないことが多い.
磯崎――だからたんなるファンタジーになっていくんですね.それはそれで結構なんですが,しかしそれをリアルな都市やリアルな建築につないでいくには,フリーズする瞬間というのがどうしても必要になる.
浅田――ですから今回,あえてひとつの人工島という虚構としての土俵をつくって,そこにピラネージなりヴェネツィアなりに基づく虚構としての地割りがあって,いろいろな人が介入して変化していくんだけれども,実際にモデルをつくるという手作業が入る,僕はそのことが逆に面白いと思うんですね.
あれが全部コンピュータ内で動いていれば,いくらでも動きますけれども,案外インパクトがないんですよ.それをトンカチトンカチつくって物にしちゃうというところで,抵抗が出てくるし,インパクトも出てくる.前任者のつくったのを壊すのにも多少の勇気が要るわけです(笑).この緊張は必要なんですよ.
磯崎――そうですね.僕が密かに考えたのは,「ヴィジターズ」のコーナーで12人の人たちが順々にやっていくときに,どこかでまったく外からその筋書きに入らないかたちで介入する,たとえばここで地震を起こすとか,竜巻を起こすとか,そういうことを無関係にやる役を僕がやってもいいかな,と(笑).
浅田――それが本当の悪しき神デミウルゴスというやつですよ.
磯崎――そうかもしれないね.
「海市」から群島へ
浅田――ここでもうすこし具体的な政治や経済の話に移ると,群島モデルというのがけっこう現実性を帯びてきていると思うんですね.世界資本主義というのが海だとして,いままではそこに大きな国民国家が大陸として浮かんでいた.しかし,冷戦も終わり,電子情報網が発達して,いよいよ世界資本主義が地表を覆い尽くそうとしているかに見える.
そうすると,そこでいちばんアクティヴに活動できるのは,むしろ小さい島としての経済特区みたいなものであり,それを連ねた群島のようなものだと思うんですね.特にアジア圏では,「海市」の計画されているマカオのあたりから,インドシナ半島のあたり,あるいは逆に沖縄のあたりから,さらにはサハリンのあたりまで,そういう群島の連なりみたいなものができてくれば,それがいちばん可能性をもちうるんじゃないか.
磯崎――いま19世紀的な国民国家の枠組みが問題視されている.それが壊れるか壊れないか,壊れたらあとどうするのか,そういうことについて,いま誰も明快な見通しをもっていないわけですね.だけど限界にきているということだけは判っている.そうすると,その次のかたちをどう考えるのか.
国民国家の場合には,できるだけ大きい領土を占有する,その割拠というかたちで世界システムが決まっていたと思うんです.そこには,広がっていくためのフロンティアというものがあり,割拠する場合のバウンダリーというものがあったわけですね.
群島というのはおそらくそうじゃなくて,もうちょっと小さい,たとえば生体のなかで細胞が浮いていて,接触しているようで接触していない,そういうかたちで相互作用をしながら動いているありさまのほうが,イメージとして近くなっていくんじゃないか.それを広げていけば,群島モデルというのは,次の世界システムのモデルとしての可能性をもっているんじゃないかなという印象を,僕ももっています.
浅田――ヨーロッパだって,統合が進むと,逆に国民国家がもっと小さな単位にばらけていくでしょうね.まず小国がイニシアティヴをもちやすいということで,オランダやベルギーがいわばアメリカの中のニューヨークやワシントンのようになるとか,たとえばスペインで言うと,バスクやカタルーニャといった地方が勝手に動き出すとか,さらには都市のネットワークができて,EC議会のあるストラスブールのような都市が比重を増していくとか,そういう細胞がうごめくような活動性が増してきている.
そうは言ってもヨーロッパはまだ大陸ですが,アジアなんていうとほとんど半ば海上で,そこでの群島的アクティヴィティは来世紀前半にかけて世界のひとつの活性の中心になるんじゃないか.もちろんバラ色のことだけを言ってはいられなくて,中国という巨大な大陸国家がどうなるかという問題が現にあるわけですが,それとの関係でもますます群島的なネットワークが重要だと言えるのではないかと思います.
磯崎――そうですね.「海市」が計画されているのはマカオの沖ですが,もともと東南アジア一帯というのは陸地に見えてもほとんど水浸しのところですからね.中国でも,上海とか蘇州なんかは全部運河の町でしょう.ほとんど水の中に浮かんでいる地帯なんです.そういう意味では,リテラルに群島なんだという感じがしますね.
浅田――振り返ってみれば,ギリシアだって群島でしょう.小アジアから,シチリアの辺りのいわゆるマグナ・グレキアまで含めた群島のなかで,いろいろな交通があって,そのなかで文明が発生したわけですよ.大陸はそれを大きな体系にするんだけれども,どうしても自閉するんですよね.
そうすると,大陸的なもの,たとえば帝国が崩れ,あるいは国民国家が崩れるときに,もう一回群島に戻って,それこそリゾーム的な交通の中で新しいものをつくっていかなければならない,ということになる.
磯崎――よく言われるように,たとえば中世においては,海が文明圏の単位になっていた.日本海なら日本海の周りがひとつの文明圏になり,黄海とか,南シナ海とかが文明圏を形成するように動いていた.ところが近代になって土地割りに専念したんだと思うんです.次の世紀には,ひとつ先に行くと逆に群島になるのかもしれないという気はしますね.
浅田――そもそもカール・シュミット[★8]的に言えば,ビヒモスとリヴァイアサン,つまり陸と海の戦いがある.資本主義というのは海へ海へと出ていく運動なんですね.ヴェネツィアの辺りから始まったものが,オランダからイギリスへ出て,アメリカへ行って,それで日本まで来ているわけでしょう.
★8――Carl SCHMITT.1888-1995.ドイツの政治学・公法学者.全体主義的国家論によってナチスに理論的根拠を与えた友敵理論は今日でも重要な示唆を含む.著書『陸と海と』で「世界史は陸の国に対する海の国のたたかいの歴史」であり,「海の怪獣リヴァイアサンと陸の野獣ビヒモスとの抗争の歴史」であると言っている.
ドゥルーズとガタリの言葉で言えば,こういう脱テリトリー化の動きが,大陸的なテリトリーのパワーを打ち破りながら,良くも悪しくも世界をひとつの市場に包んでいく.海の世紀における群島的モデルというのは,一種歴史的な必然性があるわけですよ.ほとんどヘーゲル的になりすぎるくらいですけれど.
さらに具体的に言うと,「東洋のヴェニス(ヴェネツィア)」という非常に凡庸な言葉が案外有効なんじゃないか.〈Anywise〉の発表にも書いたように,昔ジョン・ケージが「ヴェネツィアというのは世界でいちばん進んだ都市だ,なぜならすでに自動車を廃棄しているから」(笑)と言った,あれは至言だと思うんです.
非常に小さいところに文化的な価値のあるものが密集していて,歩いて,あるいはボートで,全部行き来できる.これがむしろ未来なんだ,と.巨大な大陸にフリーウェイが張り巡らされて自動車でどこにでも行けるというのが近代の北米型モデルとしてあったとすれば,それをあらかじめ超えているというかね.そうしたものをいま東洋にもってくるというのは,僕はとても面白いと思うんです.
それに関連して,電子情報網時代のグローバル・ヴィレッジということで,ネットワークにつながれていればどんな田舎にいてもいいという未来イメージが語られてきた,しかし,いままで言われていたのはやはり北米型モデルだと思うんです.巨大な空間に散在した人たちがネットで結ばれている.
現にマーシャル・マクルーハンはカナダでそういうことを考えていたわけだし,彼の同時代人だったグレン・グールドもやはりカナダの湖畔でピアノを弾いていた――本来ならそこで録音までして直接世界に発信したかったでしょう.あるいは,アーサー・C・クラークなどは『2001年宇宙の旅』から今度の『3001年最後の旅』にいたる本をスリランカの書斎で書いたわけで,外の世界とはもっぱら通信によってやりとりしてきた.これはいまもって新しいモデルだけれど,しかし巨大な空間と比較的少ない人口を前提とする,依然としてあまりにもエクステンシヴなモデルだと思うんですね.
それに対して,グローバル・ヴィレッジと言っても,もっとインテンシヴなアジア型のモデルというのがありうるのではないか.すごく密集していて,車で行くと混雑しすぎるけれど,いまや車の必要もないわけで,みんなが自転車に乗ったりボートに乗ったり,しかし可動(モーバイル)端末をもっていて,それでネットに接続すれば,どことでもコミュニケートできて,グローバルに活動できる.いわゆるアジア的雑踏に見えて,しかしそれがグローバルに動けるという,これはモデルとしては面白いんじゃないでしょうか.
千年紀末の地平線上に出来する蜃気楼
磯崎――ともかく,その視点はユートピアを考えるということがもう一度可能かどうかという問いかけにつながります.ユートピアというのは使い古された言葉でしょう.そして,ユートピアを目指した近代は,ユートピアを達成してしまった,だからユートピアは死んだ,というのが1968年あたりで語られたことだったわけですね.そうすると,死んだあとにまたもういっぺん復活させるのかということになって,ユートピアのゾンビとなる可能性も,通常の理解で言うと,十分あるわけですよ.
それに対して,僕らが考えようとしているのは,起こるかもしれない,起こりうるであろう状態を,ヴァーチュアルな世界のなかに組み立てていくということなんで,「海市=ミラージュ・シティ」というのは,そういう意味でもあるわけです.これは普通の意味でのユートピアにはならない.ところが,よくよく考えてみると,ユートピアの語源というのはnowhereですから,nowhereというのは,まさにヴァーチュアル・シティとしての「海市」の本質的な特性と言ってもいいんじゃないかというふうにも思える.それで,あえてそれを「もうひとつのユートピア」と呼んでみれば,ある意味では通りやすいんじゃないかと思ったわけです.
それでつけた名前なんですけれど,このプロジェクトに関連して,あなたにとってユートピアとは何かという質問をするとみんなドギマギして答えられないというのが実際の状態なんですね.これが僕にとっては逆説的に面白かった.
浅田――いわゆるトポス(場所)というものがいろんなメディアによってどんどん無化されていったあげくに,いま起こっている状態は,アトポス,つまり場所がないという状態であり,言い換えれば要するにアトピーなんですね.
ネット上では地理的な距離が意味をもたなくなる.誰がどこで何をやっているかわからない.しかし,その結果,結びついているとは思いもしなかったところでアレルギー反応が出たりする――コンピュータ・ウイルスでデータが破壊されるとかね.
だから,現在の状況は,素晴らしいユートピアと言うより,場所の消失に伴うアトピア/アトピーのほうに近い.しかも,実際に端末が置いてある部屋は本当に荒廃しきった都市の一室だったりして,これはディストピアに近い.こういうアトピアとディストピアの融合みたいな状況が現実にはあるんだと思うんです.
それに対して,ユートピアをどのように構想するか.その場合,そういう拘束から離れた,どこでもない最良の可能世界みたいなものを考えるべきではない.むしろ,サミュエル・バトラー[★9]が「nowhere」をひっくり返して『Erewhon(エレフォン)』というのを書いているわけですが,ドゥルーズによると,それは「now here(いまここ)」というアクチュアルなイメージ(実像)に伴うヴァーチュアルなイメージ(虚像)なんですね.アクチュアルにはいまここでしかないんだけれども,裏返すとそれがしかしヴァーチュアルな「Erewhon」なんだ,と.
★9――Samuel BUTLER.1855-1902.イギリスの作家,思想家.ケンブリッジ大学に学んだが,聖職につくのをきらって,ニュージーランドに移住し,牧畜業者として成功した.64年にイギリスに帰り絵画を学ぶかたわら『Erewhon(エレフォン)』(1872)という諷刺小説を書いた.エレフォンとはnowhereの逆綴りからつくった架空の国名で,この一種のユートピア国の人情,風俗,制度をかりてヴィクトリア朝のイギリス社会を痛烈に諷刺している.
だから,コンピュータのなかで素晴らしい架空の都市のイメージを描くとかいうだけじゃなくて,この場合は,わりと現実性がある,悪く言うとアクチュアルには生臭い話でもありながら,しかし,それを裏返したとき,ヴァーチュアルにはまったく別様でもありうるというイメージが出てきて,それがアクチュアルなイメージと重なっていくとすれば,そのほうが面白いだろうと思うんです.
それは昔のユートピアのような単純な予定調和のヴィジョンではない.アクチュアルなイメージをヴァーチュアルなイメージでどのように増幅できるかというところから出てくるヴィジョンだろう.それはまさに「海市」という言葉の意味するミラージュ(蜃気楼)として,この世紀末あるいは千年紀末の地平線上に立ち現われるべきものなんですね.
磯崎――もうひとつ,ユートピアということで言うと,日本人は浄土というものにずっとこだわってきたわけですね.一般的に,仏教で言う浄土,あるいはキリスト教で言うパラダイスのようなものと,近代が言ってきたユートピアというものが,重なって理解されているように思うんですよ.しかし,いま僕らが言うユートピアというのは,楽園というような概念とはまったく違うわけね.むしろロジックとしてヴァーチュアルなものと言ったほうがいいと思うんです.
だけど,それがアクチュアルに物質化されるかどうかという問題はまたもうひとつあるんです.ただ,建築物というものの宿命として,こういうものはでき上がったとたんに古くなる.
浅田――特にユートピアは急速にディストピアになる(笑).
磯崎――そういう宿命をもっているんだと思うんです.むしろ,もともと浄土やパラダイスのような完璧な目標があって,そういうかたちにもっていくというのではない,この現実を別なかたちで見直す手がかりとして,「もうひとつのユートピア」というのを考えるべきじゃないか.
浅田――ただ,たしかに浄土のイメージは強力ですからね.この場合は,補陀落渡海[★10]とか,そういう感じかもしれない(笑).
★10――インドの南海岸の観音菩薩の住む山,補陀落を目指して小舟で単身海を渡ろうとすること.中世,熊野灘や足摺岬から試みられた.
磯崎――これは歴史的には非常に重要な概念で,日本の石庭なんていうのは全部,補陀落の三山の島をモデルにしたものですから.海に浮いた島としてのユートピアですよ.だから,「海市」が補陀落に通底していてももちろん結構です(笑).
浅田――そういう面も含めたさまざまなイメージをゆらめかせながら,「海市」が地平線上に刺激的なかたちで展開されていくことを期待したいと思います.
──1997年3月31日,東京・磯崎アトリエにて
※「海市――もうひとつのユートピア」展は,1997年4月19日―7月13日,ICCギャラリーAにて開催

- 磯崎新(いそざき あらた)
- 1931年生まれ.建築家.1963年磯崎アトリエ設立以降,MOCA=ロサンゼルス現代美術館,バルセロナ・オリンピック・スポーツホールなど国際的な仕事を多数手がける.国内の近作に岡山県奈義町現代美術館がある.著書=『磯崎新の仕事』(王国社)など多数.

- 浅田彰(あさだ あきら)
- 1957年生まれ.京都大学経済研究所助教授.経済学,社会思想史.著書=『構造と力』(勁草書房),『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館)など.