IC59-2
可塑性・批評性・対称性について
ネットワーク=実世界環境の往復に向けた試論
[掲載日:]
われわれは個人用の地図作成言語を開発し、進化させなければならない。地図作成により、われわれは自分たちを取り巻く世界を作りだし、理解することができる。
――ジェレミー・ウッド(アーティスト、GPSドローイング)孤児はみな、未踏査領域のマップ化に送りだされる探検家だった。そして孤児はみな、本人自体が未踏査領域でもあった。
――グレッグ・イーガン『ディアスポラ』(山岸真訳、早川書房)
今日、「オープン」という言葉はいたるところで使用されているが、ある意味無批判にオープンの価値が前提となって流通しており、現に昨今のフリー・カルチャー周辺の一部の文化領域では「オープン=真理」という宗教的な受容さえも見受けられる。
もちろん、オープン・アクセス運動は社会、政治、または教育といった実質に根づく活動領域であるし、オープン・ソースもOSI定義という厳密な規格をもっているが、それらと比較したときに、芸術と文化を扱うフリー・カルチャーにおけるオープン性の価値と問題提起は十分に成熟していない。筆者がアーカイヴのディレクターを務めるICCも、「オープン」という標語を掲げているが、その厳密な定義は行なっていないという問題がある。
本稿は、そうした問題を打破するために、そしてまたオープン性が宗教的価値に還元されないように分節化する試みである。そのために、ギブソンが構築した生態学的実在論とストールマンによって打ち立てられた情報財のコピーレフト概念を比較し、そしてそこに、ベイトソンが生態とサイバネティクスを並列で考察したときに提唱するプロクロニズムという生態特質を一種の媒体として挿入することによって、オープンという言葉から離れて可塑性という概念を考察する。これはまた同時に、ネットワークと物理世界の往復に関する試論[★01]の続きでもある。
★01――筆者による物理建築空間とネットワークの接続によって生まれる現実感に関する連載「Architecture的/Archive的」『10+1』(40143号、INAX出版)を参照されたい。
1 可塑性史観
私たちの物理身体が依拠する実世界環境は、量子力学と物理学の(解明されていないものを含む)法則群および人間身体の諸能力に規定される範囲内において、基本的に可塑的(Plastic)[★02]である。
★02──可塑性概念は、哲学的見地からはカトリーヌ・マラブーによってヘーゲル哲学の解題として多くの著作を通して構築されている(代表的な論文として、L’avenir de Hegel-Plasticité, Temporalité, Dialectique, Paris: J. Vrin, 1996がある)。彼女はギリシア彫刻の彫塑性に言及するが、筆者はボイスのSoziale skulptur(社会彫刻)というコンセプトに依拠している。そして、彼女があくまでへーゲル的な能動的主体の能力として、可塑性を形而上学や脳科学の観点から把握していることに対して、本稿ではむしろ環境や他者を前景化し、それらと個体とのあいだの関係性として考えている。つまりよりプラクティカルな意味においての可塑性を独自に定義しているものであり、現時点では直接的にはマラブーの観点との接続はまったく行なっていないことを断っておく。
私たちの世界の可塑性は減衰しない。可塑性はただ異なる構造、文脈、レイアウトへと変換もしくは翻訳されていくのみである。
この場合における可塑性という概念は、所与としてすでに実世界環境内に満ちている構成要素(ソース)(物質やエネルギー)が生命体によって新しい構造にレイアウトしなおされる可能性を指す。可塑性は実世界環境内のさまざまな階層にわたって遍在しており、その意味で私たちの物理世界の構成要素(ソース)は開示(オープン)されており、予め達成目的を持たない(オープン・エンド)限りにおいて再定義が可能である。
自然に遍在する可塑性を利用して、自然の代替としての文明圏がレイアウトされ、そこに国家、権力と法、経済システムや社会規範といった人工の法則が追加されていき、その過程で摂取・破壊された自然の構成要素は技術とその生産物に組み替えられて高次の可塑性を生みだしていった。それが人類の辿ってきた生成変化の歴史としての進化過程であると表現してみよう。そうしていくつかの産業革命を経て、今日、物理的な代替自然である文明圏に加えて電子的なネットワークの網(ウェブ)が地球規模で形成されており、新たな代替現実の層が生みだされている。
2 物理環境とネットワークの差異
このネットワーク上では、物理世界内における物質媒体では不可能であった速度と密度で、電子化された情報が生成・交換・配信される。そこでは、社会規範よりも資本市場の原理と結びついた法、そして基盤技術(アーキテクチャ) の論理が強く作動しており、例えばレッシグは、ネットワークに適したかたちで法や市場原理、そして基盤技術を更新することによって均衡を取り戻すことを唱え[★03]、ベンクラーは、そのネットワーク文化に特有の経済様式を共有型協業生産(commons-based-peer-production)[★04]という概念によって肯定している。
★03――ローレンス・レッシグ『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』(山形浩生ほか訳、翔泳社)
★04――Yochai Benkler“Sharing Nicely: On shareable goods and the emergence of sharing as a modality of economic production” および“Coase’s Penguin, or, Linux and The Nature of the Firm,” に 詳しい。Peerとは同格の他者という意味であり、peer‐productionとはそうした他者との協業を指しているが、本稿の「共有型協業生産」ではそのニュアンスを訳しきれていないことを記しておく。
ここで私たちが問題にすることは、既存の物理世界における可塑性と私たちのネットワーク世界におけるそれが、異なる本質に基づいているという事実である。物理世界とネットワークにおける根本的な差異とは、物質の希少性とその複製コストに対するデータの無限複製性である。
二値的に標本化(サンプリング) してしまえば、物質媒体に基づくあらゆる文章、画像、楽曲、映像やソフトウェア、そして立体物も等しくデータ容量という数値に還元され、無限に改変・複製される対象となる。そしていったんネットワークに放出されてしまえば、そのデータを含むサーバーが物理的に消滅しない限り、デジタル・データの希少性というものは原則的には存在しない。
この差異が、物理世界では主に物質の希少性に基づく資本制商品経済を、ネットワーク上では特に無限の情報伝達に基づく贈与経済をそれぞれ発展させることになる。しかし両者はいまだ、分断されたままでいる。
広義のユビキタス・コンピューティングと呼ばれるインターフェイス研究領域は一見この往復を担っているように見えるが、総体としては、環境にセンサーと計算機を埋め込むインフラの話か、もしくはどのように物理オブジェクトを通して情報操作を行なうか、どう物理空間内に情報を反映するかという効率性に関する議論に終始しており、まだ人文知との有効な接続は始まったばかりというのが現状だろう。
私たちが現時点で考えはじめられることは、例えばSecond Life[★05]環境の可塑性に直面したとき、どのように物理建築物にスクリプトを付与し動態化できるのか、という工学的関心と社会学的関心を同時に内包できるような、ネットワークと実世界環境の往復が連関する問題系である。
★05――Second Life 本号の「web X キーワード事典」を参照されたい。
3 物理環境とネットワークの交通
二一世紀初頭の私たちは、この双方の世界にそれぞれ半身が浸かっているような、過渡期的な状況に特有の分裂を生きている。ィンターネット黎明期における直接民主主義的価値の実現に対する憧憬が冷めやり、代わりにWeb2.0というより現実的な熱狂のもとに、大企業と起業家とエンジニアが跋扈する資本ゲームの場と化している今日のネットワーク世界に、物理世界との統合を期待することはできるだろうか?数少ない例外を除いて、答えは否である。
現在のネットワークに起きている現象は、物理世界のあくなき標本化であり、それは概ね一方通行である。そして、それらはそれぞれが囲い込まれた標本群の集積所とでも呼ぶべき精神構造に根づいているのである。
今日、私たちがこれほどまでに依存しているGoogleやWikipediaといった固有名を賛美することはたやすい。しかし、GoogleとWikipediaに代表される道具が現在行なっていることは、物理世界の現象をすべてネットワーク世界へと標本化し、集中させてゆくことにすぎない。それは両世界の関係の非対称性を増大こそすれ、往復は生まない。また、それが結局は新たな衆愚主義にしか帰結しないことは明白であり、そのことを私たちは真剣に考えるべきだろう。ネットワークへの囲い込みは、結局は単性的な思考と交換様式しか生まない。
現に、今日の私たちのネットワークにおける最大の経済基盤の一つがAdSense[★06」に依拠していることになぜ私たちは恥じ入らず、批判しないのだろうか。私たちは私たち自身を強化(エンパワー) すると信じてやまず、またそのように市場によって吹聴されてきた個人的なメディア技術を獲得しても、結局は既存の中央集権的な社会構造を甘受することしかできないのだろうか。
★06――Google AdSense
Wikiやブログその他の個人メディアがどれほど進歩しても、情報価値の決定と情報流通の様式が経済制度の根本的な進化に根差していないのであれば、それは旧来のコミュニケーションの限界を超えることはできない。今、新たな可塑性を探るべく混声的な状況を求めるのであれば、物理身体とネットワーク世界の往復的な交通こそを考察するべきなのだ。そうでなければ、私たちは二項対立的な泥濘(ぬかるみ) 、確定記述化される実在、または逆に単一の固有名に帰責性を求めるような既存の思考回路から脱することはできないだろう。
物理世界とネットワークの差異を最大化しつつ、双方の距離のなかに間断なき交通を模索すること。極点を乖離させるのではなく、それらを混交させ、中間領域を探索すること。自己の離散を肯すること。例えば窮極的には、未来の時制においてネットワーク端末化する私たちの身体(=サイボーグ)〔★07〕に関する次のような命題群について考えられるだろう。
固有名の発現を可能にするライフログはどのように設計できるか?
遺伝的特質を持つ情報はどのように発現するか?
物理的実体によって演算されるネットワークとは何か?
義体をどのように自己身体として認知できるのか?
人間と動物、そして環境と生物を分離せずにデザインされるインターフェイスとは何か?
アシモフの原則に従うロボットと、カント的定言命法に沿うサイボーグが形成する社会とはどのようなものか?または、ドゥルーズの言い方に倣って、抑圧的権力(pouvoir)に基づく悲しみの社会ではなく、相互の生成変化(devenir)=能力(puissance)を最大化する技術はどのように実装できるのか?
これらの設題は今日の私たちには性急にすぎるように見えるかもしれない。しかしここから、現在の私たちの社会に対して有効な問題や定義の試みを開始することはできる。
★07――NTT DoCoMoモバイル社会研究所「未来心理研究会」(二〇〇六年九月一五日)において新妻美保子氏(東京大学・工学)と高橋透氏(早稲田大学・哲学)とともに、「Cybernetic Organism」に関する公開討議を行なった。
4 可塑性・批評性・対称性
では、物理世界とネットワーク世界の交通を、相互の可塑性を混合するようなかたちで試みることとは何を意味するのか。ここで、今日の情報社会のなかでメディア技術を活用して社会変革を試みようとするいくつかのプロジェクトの事例を考察してみよう。そして結論を先取りすれば、ここで挙げる例に共通するのは代替現実[★08]を構築し、新たな可塑性を提示する志向性である、と述べておこう。最初にアーティストの活動を例示し、そのあとにグローバルな教育プロジェクトの事例を考察する。
★08――ドミニク・チェン「ユビキタス環境における代替現実群ゲームとそのオープン・ソース型コミュニケーションの構築に関する基礎的考察」『Mobile Society Review』04号。
A メディア――批評的活動と可塑性の利用
The Yes Men[★09]という米国の二人組アクティヴィストは、批判する対象になりすまし、公的な歴史のなかに虚構を挿入しながら、対象の批判点をブラック・ユーモアとともに最大化する。彼らの多岐にわたる活動の中でも、WTOになりすまして行なった一連のプロジェクトが特に有効に思われる。彼らはwww.gatt.orgというGATTの公式サイトかと錯覚してしまうドメインを取得し、そこに本物のWTOに酷似する、いわばフィッシング・サイトを開設した。
★09――The Yes Men
その結果、世界中の大学や商工会議所から講演依頼のメールを受信した。常にWTOの代表として、あるときは北欧の繊維業界のカンファレンスで巨大な黄金のペニス型ディスプレイ装置を内蔵したコスチュームをまとって奴隸制度の復古と労働管理の最大化の手法を「公開」し、またあるときはニューヨークの大学で第三世界における食糧危機を回避する手段として、先進国の住民の排泄物をリサイクルして製造されるハンバーガー流通をマクドナルドとの提携計画として「発表」し、そのつど(一時的にではあれ)新聞やテレビといったマスメディア に対して「最大限に露悪化されたWTO」のニュースを提供してきた。
また、さらにシリアスな計画として、一九八四年にダウ・ケミカル社[当時ユニオン・カーバイト社。後にダウ・ケミカル社の子会社となった]によって引き起こされた、インド・ボーパル地方の大規模汚染を告発するために、BBCの生放送で当社の幹部社員として「当該事故に対してダウ社が全責任を負い、被害者への賠償を行なう」という虚構の声明発表を行ない、本物のダウ社が直後に「全否定」を行なった結果、ダウ社の株価が大幅に下降したという状況を生みだした。
元e-toyのメンバーでもあるオーストリアのハンス・ベルンハルトとリズ・フリックスによるアーティスト・グループUbermorgen.com は≪voteAuction.com≫≪Google will Ear Itself≫といったプロジェクトでそれぞれ、合衆国大統領選挙とGoogle AdSenseに対する抵抗を実現した。
前者においては、二〇〇四年の大統領選挙権を米国人が外国人にオークション・サイトを通して売却するシステムを公開し、CNNにインタヴューされ、またFBIによってオーストリアのISPからサイト運営停止命令を受け、メディアに大きく取り上げられた。後者においては、Google AdSenseを利用したダミー・サイトを多数自動生成し、そうして得られる広告収入によってGoogleの株式を取得し、Googleを自壊させようとするプロジェクトである。
先述した「代替現実を構築し、新たな可塑性を提示する志向性」とは、こうしたプロジェクトが、それを観る者に対して、ある種の驚きや笑いとともに「それまで可塑的ではないと思われていた対象を操作している」、つまり新たな関係性の提示を行なっている、ということを意味するだろう。それは批評性が具現化し、世界の対称性が立ち上がってくる感覚を生起させる意味において、一つの美的体験なのである。ここで挙げたのは一例でしかないが、こうしたリアリティ・ハッキングとでも呼ぶべき状況を作りだす彼らは、現代において状況主義者(シチュアシオニスト) たちを受け継ぐ批評的な個体であると言えるだろう。
B 教育――可塑性の創発環境
さて、上に紹介した「英雄」たちのように万人が振る舞えるのかどうかという疑問はいまだ未回答のままである。ここでそのことを語り尽くすことはもちろん不可能だが、技術と文化の最前線の事例を考察しながら想像力を働かせてみよう。
OneLaptopPerChild[OLPC]とは、一〇〇〇 万以上の世界中の子どもたちに、GNU/Linuxベースで、通信範囲一キロメートル程度のメッシュ・ネットワーク機能を持ち、大規模な教材データべ一スにアクセスできる、アラン・ケイのDynabook思想を反映したラップトップを散種しようという、国連開発局とMITによるプロジェクトである。
この構想は、居室や仕事場、または一国内の道路基盤などにRFIDをどう埋め込むかということに腐心する、私たちのよく知るユビキタス研究開発よりもはるかに大規模なレべルで、「どこでも、だれでも」使えるコンピュータを遍在させようとする最大の取り組みである。この計画が実現すれば、私たちは、私たちの道路や医療器具や食料とどう対話するかというトレーサビリティやセキュリティのスキームから、第三世界の人間たちとどう接続できるかという、より本質的なコミュニケーションの位相にようやく辿りつくことができるだろう。
ではこのマシンを贈与された、四歳から一四歳のナイジェリアやブラジルの子どもたちは何を行なうのだろうか。まず、手動充電が行なえ、超高輝度ディスプレイを備えているので、山岳地帯だろうと砂漠地帯であろうとこのマシンを起動し、使用することができる。またメッシュ・ネットワークを用いるので、インターネットへのバックボーンにアクセスするピアがネットワーク内に存在すれば、一キロメートル以内の距離で相互接続しあってピュアおよびハイブリッドP2Pの活動を展開することができる。
こうした柔軟かつ自己組織的なインフラに基づいて、この子どもたちはグローバルな教材データベースやヴァナキュラーな資源アーカイヴにアクセスし、その構築を通してメディア・リテラシーを獲得していくだろう。電子ペーパー的に振る舞うディスプレイは紙媒体の流通を不要にするので、この子どもたちはディスプレイを通して世界で最も文字を読むことになる層を形成するかもしれない。また、ハードディスクを持たないマシンなので、彼らは幼年期から情報財を「囲い込む」ことや「ため込む」という発想から身体的に自由になれるだろう。
そして彼らが生まれて初めて慣れ親しむ計算機環境がすべてオープン・ソース・ソフトウェア(GNU/Linux OSやケイのSqueak eToy など)とオープン・コンテンツ(クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用したオープン・カリキュラム計画やMITOCW系[大学の教材をインターネット上で無償公開するプロジェクト]など)によって構成されていることの意味は、AppleやMicrosoftとともに育ってきている先進国の現在の若年~成年層には本質的に理解できないかもしれない。
フリーソフトウェア運動には対抗する対象として八〇年代における「知的財産権」や「ソフトウェア特許」概念の興隆があり、フリーカルチャー運動も同じように「DRM、TPM[デジタル権利管理、技術的保護手段]」や「DMCA、WIPO、MPAA」[★10] といった固有名と闘ってきた。そして両者とも左翼的政治イメージの牽引力をその参加動機の一つとして孕んできた側面は否めない。
★10――それぞれ「Digital Restriction Management:(デジタル規制管理)」「Technical Protection Measure」「Digital Millennium Copyright Act」「World Intellectual Property Organization, Movie Producers Association of America」の略
しかし、すでにプロプライエタリとオープン・ソースの均衡のなかにロックインされている先進国の人間が、新しく構築されるデフォルトの情報インフラがオープン・ソース原理によって駆動されるブラジルの過疎地やアフリカの農村部といった社会風景を想像し、そこから何が生まれてくるのかを(否定的にも肯定的にも)予想するのはやさしくない。だが、先進国のそれに代替するような斬新な情報基盤の雛形を第三世界が持ちうるとしても、それが地域固有の価値や意味の体系を作らなくては、結局は先進国から発せられる資本力の影響下にすぐさま回収されてしまうであろうことは想像に難くない。それは先進国にとっても一つの可能性の喪失であり、反復という名の失敗を意味するだろう。
よって、OLPCを持って育った子どもたちが彼ら独自の可塑性を設計し、構築することは私たち全員に課せられた命題として考えられる。ここにも一つの往復の契機があるのだ。情報格差は双方向的であり、第三世界の住民がアクセスできる情報が限定されているのと同時に、先進国の人間は第三世界の現実を絶対的に知らなさすぎる。それは先進国におけるマス・メディアの問題にも起因する。商品化されない情報は媒介されない。だからこそ、GoogleやWikipediaのある種の傲慢さがラップトップを手にした第三世界の住民たち自身による情報発信のプロセスによって楊棄されなければ、双方の対称性は生まれえないだろう。逆に言えば、第三世界が情報社会に参入すると同時に先進国も第三世界と関係を再構築できるのであれば、相互においての可塑性の交通が生じる可能性があるのだ。
5 不変項としての可塑性
物理世界とネットワークそれぞれの可塑性のあいだの統合的往復を探るには、まずもって可塑性の不変定義を試みなければならない。それでは物質と情報を貫通する可塑性の条件とは何だろうか。
ここで「可塑性」という上部構造を脱構築し、それを構成する複数の下層レベルを設定してみよう。なお、繰り返しになるが、この作業によって絶対的な価値基準を規定しようとするのではなく、あくまで可能な分節化を提示するものである。問題は共通の価値判断の土壌を醸成することであり、議論の囲い込みではない。

- 可塑性の分節化
まずは、可塑性の要件を三つの生態的な価値に分割して一次レベルを考える。生物の遺伝子交配が可能となった現在、私たちのメタ存在としての情報のジェネラティビティ(generativity=世代継承性、生殖性)[★11]を考えることが可能である。
★11――一般の通念としてある道徳的な意味は捨象し、ここではあくまでエリクソンの成年期の定義を拡張して「ある世代nの個体自身にとって価値となりうるような、次世代n+1との潜在的な関係性」という意で扱う。
・継承伝播性(hereditary propagation)
――いわゆる遺伝子や模倣子における、共有可能な遺伝形質の継承と固有の表現形質の伝播の連関が真っ先に想起できるが、情報の次元で同様のシナリオを考えるとき、ストールマンのコピーレフト概念[★12]が考察に値する。
★12――コピーレフトの定義は以下を参照。
著作権の文脈を抽象化し、より汎用的な次元でコピーレフト概念を捉えれば、時点nでのある存在の開示性、自由度が時点n+1においても保持されることを指していると言える。
生命における継承伝播性は、DNA複製(遺伝形質)とRNA転写/逆転写(中間プロセス)の連関メカニズムによってタンパク質(表現形質)が世代nのなかで発生し、(有性生殖の場合は二つの個体の遺伝形質が交配して)世代n+1へ受け継がれていく。情報の継承伝播性とは何かを考えるとき、模倣子という曖昧なスキームを深化させる必要があるし、カットアップ・サンプリング・リミックス・マッシュアップといった二次創作の諸メソッドに通底する価値体系を抽出しなくてはならないだろう。
生命体における生老病死と遺伝子交配のカップリングが可能にしていることは、世代間に偶有性と多様性が自動的に挿入され、自己定義のなかにゆらぎを生じさせることによって包囲環境の変化に対して柔軟性を獲得することと考えれば、生命体の生産物である情報を操作するメソッドは包囲環境(ネットワーク)そのものの偶有化と多様化を招く行為と考えられないだろうか。個体のみならず、環境の継承伝播性は、情報の可塑性を踏まえたうえでも重要な概念となる。
よりプラクティカルなレベルで言えば、GNU GPLはそれ自体が他のライセンスとの互換性を志向しなかったがためにオープン・ソース・ライセンスが分離し、またクリエイティブ・コモンズ・ライセンス[★13]のように多文脈ライセンスとの互換性を強調するものと比較したときには、逆説的に一種の囲い込みを行なっているという批判がある。よって、この継承伝播性は現存する情報の世界において一つのライセンス体系によって実現されているものではないし、またそうあるべきものでもない。
★13――Creative commons Japan Creative Commons
・アフォーダンス(affordance)
――ギブソンは刺激-反応(s-R)という行動心理学主義的なカップリングの不毛さを説き、それまで「刺激」と呼ばれ無価値(無意味)とされてきた「何もの」かをそれ自体が環境内の生態的価値を内包する情報として捉えなおし、アフォーダンス概念を構築した[★14]。
★14――ギブソンの主要な論文集を参照されたい。J・J・ギブソン著、エドワード・リード+レベッカ・ジョーンズ編『直接知覚論の根拠――ギブソン心理学論集』境敦史+河野哲也訳、勁草書房、二〇〇四年。
アフォーダンスとは、ある個体にとっての包囲環境そのものが孕む「生態的に意味のある情報」である。アフォーダンスは、刺激がそうするように反応を「引き起こ」さないし、言語的な処理プロセスを介さないがゆえに、生態的実在論(ecological realism)を志向する。アフォーダンスは、環境のなかに(一時的であるにせよ、そう知覚しうる)不変項として「すでにある」情報構造であり、それは個体による能動触知(アクティヴ・タッチ) によって探索される。アフォーダンスは、「何をさせるか」という情報ではなく、「何がしうるのか」「何が起こりうるのか」という個体の判断を支援するために、環境内で潜在的には無限に生成と消滅を繰り返す情報である。
ネットワークを私たちの一つの生態環境とみなせば、その構成要素であるデータにもまたアフォーダンスがあると考えることは決して飛躍ではないだろう。例えばクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが付されている文章、楽曲や映像といった情報は、別に翻訳、リミックス、編集という行為を「引き起こす」刺激ではないが、そのライセンスの条件が理解されれば、それはその情報をどのように処理しうるのか、という法的、社会的、技術的なアフォーダンスが探索されたこととして考えられる。情報のアフォーダンスはまた、それが継承伝播性を孕みうることを示唆するものである。
この思考の革新性は、一種のファッションとして流通している言葉の表層性に妨害され、心理学者やそれ以外の領域の専門家によって、まだ十分に議論されていない感がある。この思考はまた、私たちがかくも濫用してしまいがちな、昨今の脳還元主義や、脳や人間のコミュニケーション様式を計算機のそれと比較するような隠喩、そして動物(生物)と環境を二元論的に切り分けて研究できるという仮説を、根本から批判するものであることはいくら強調してもしきれないだろう。
・プロクロニズム(prochronism)
――ベイトソンは、プロクロニズムという言葉を用いて、「生態的な履歴」の価値を説いている[★15]。
★15――Gregory Bateson, Mind and Nature. A Necessary Unity, New York: E. F. Dutton, 1979を参照。
プロクロニズムとは、ある存在がどのような過程を経て今あるような形態に至ったのかという履歴が形態そのもののなかに表現されている価値である。
なぜそのことが価値なのか?なぜなら、その履歴が開示されていることによって、その存在に接する個体がその存在と自己との「可能な」連関性を見出すことができるからである。
なぜそのことが価値なのか?なぜなら、他者との連関性を了解することは、対他的であると同時に対自的な継承伝播性やアフォーダンスを生むことにつながるからである。
ベイトソンは、巻貝の殻や蟹の形態の例を用いて説明する。巻貝の場合においては、その中心点から外縁へと螺旋状に展開する幾何形態を見ることによって、私たちはその巻貝の時間的発達を瞬時に了解することができる。また、一つの生体を構成する諸要素間の連関についてもプロクロニズムは見てとれる。蟹の身体を、意味論的にではなく、形態的な特徴に基づいて記述すると、「ハサミの大きさは違うが、同じ部分によって形成されている」ことに気がつかせられる。より抽象的に言えば、プロクロニズムを知ることとは、「今、このようにして在ること」をではなく、「どのようにして、なぜ、今あるようにして在るのか、そして今後どのように生成変化していくのか」を知ることである。
情報技術を使えば、蟹の形態だけではなく、その卵内の細胞分裂に至るミクロなレベルの履歴まで私たちは調べることができるが、それではネットワークの情報のプロクロニズムとは何かと考えてみよう。
例えばWikiやブログなどのようにアーカイヴ機構を持つシステムでは、その発達履歴が各項目ごとに関して、すべて開示されている。Wikipediaは編集履歴や削除履歴を開示しており、この意味でプロクロニスティックな価値の宝庫である。ネットワークの場合は、情報そのものだけではなく、そうした情報を活用して組織の透明性を向上したり、逆にその履歴を違う形態へと翻案したりすることもできる。他者が自己を監視するspywareとは違い、自己による操作履歴の保存を促すmyware においては、積極的に自己のプロクロニズムを他者へと開示しようとすることの価値が見てとれる。
ベイトソンは、個体発生(ontogeny=遺伝形質に加えて固有の経験と包囲環境との相互作用を含めた、個体の発達のプロセス)とプロクロニズム(個体発生の履歴)の関係は、相同(homology=異なる種間の形態的類似性、つまりそれら種同士の関係性)と系統発生(phylogeny=ある種の進化の履歴)の関係に等しいというが、情報=身体の「プロクロニズムの開示」(几長的な表現だが、情報操作は意図が介在することが前提なため、強調した)は他者との相同を可能にするための行為と言えるのかもしれない。
例えば、自身の音楽再生履歴を記録し開示するmywareであるLast.fm[★16]の利用は、正に自己の音楽的経験の履歴の無意識と意図の中間に位置する編集という表現行為(微創造)であると同時に、その自己の履歴から他者の履歴との相同を連関づけているのである。
★16――Last.fm 比較されるサービスとしてメジャーレーベルも参加するネット音楽ラジオのPandoraがあるが、Last.fmはあくまで個人履歴の集積と共有を通した音楽コミュニケーションを模索している。また、個人の生態情報と音楽再生履歴を連動する研究はすでにタナカ・アタウのmalleable mobile musicや、NikeとAppleによる「Nike+iPod Sport Kit」などがある。
自身のプロクロニズムを意識する個体は間断なき微創造の流れに身を投じるのだと言える。そして、ネットワークにおいて顕在化しているそうした微創造行為は今後、物理環境にも反映されなくてはならない。またこの試みは、物理世界のネットワークへの標本行為を最大化しようとする種類のライフログ研究とは一線を画すものであることも記しておく。
このように、ここで挙げた可塑性の三つの構成要素は、互いに構造的に連関しあっている。強いて言えば、プロクロニズムは時間、アフォーダンスは空間、そして継承伝播性は時空間の次元をそれぞれ特徴づける価値であると言えるだろう。
ここで、さらに踏み入って、可塑的なものに関する二次レベルの特質を考察してみよう。ここで述べる各項目はそれぞれが、上位項目のいくつかの交配によって生まれており、それらと密接に連関している。なお、すべての項目を特質という言葉によって定義しているのは、環境と個体の両方にかかる意味を込めているという理由による(また、ネットワーク対応例は不完全な提案であることも断っておく)。
・派生性(Derivativeness)[★17〕
――主に継承伝播性とアフォータンスに関わる。その個体が、他者の働きかけ(acting upon)を許容し、またその働きの結果が継承伝播される特質。微創造の連鎖を生む形質であることからプロクロニズムにも関わる。ネットワークではWikiシステムや他のコンテンツ制作ウェブ・アプリケーシヨンが想起される。
★17――関連する用語としてはderivative work(二次創作物)、derivation(微分化)がある。
・非媒介性(Immediacy)
――主にアフォーダンスとプロクロニズムに関わる。その個体との関係性が、ある中央的な権力構造(脳を生体の中心と捉えるような思考も含む)によって媒介(mediate)されるのではなく、直接的な連関性が結ばれ、その関係性が相互の表現形質に記録される特質[★18]。ネットワークにおいてはピュア型P2Pネットワーク技術など、一カ所に「囲い込もうとしない思想」が想起される。
★18――ドミニク・チェン、前掲書。
・動態性(vitality)
――主に継承伝播性とプロクロニズムに関わる。ある個体と、その個体との関係が自己生成組織的(オートポイエティック) な生命システムであること。つまり、その個体が自・動的に個体発生とその履歴を開示する特質。ネットワークではRSS/ATOMやソーシャル・クラウド、フォークソノミーなどが想起される。
・価数/誘発性(valence)
――主にアフォーダンスと継承伝播性に関わる。ゲシュタルト心理学的な概念[★19]としては、個体の「要求」に働きかける情報である。同じ言葉は化学においては一つの原子が統合・置換できる原子数(価数)を表わすが、情報財の価数とはリンク数やPagerankなどがその[力]を表わすと考えられる。ネットワークではスパムやフィッシングなどの負の誘発性や、ブログのSOE ランキング、ソーシャル・ネットワーク・サービスや仮想世界における個体の諸々の社会的パラメーターなどの正の誘発性が想起される。
★19――ギブソンによれば、アフォーダンスという言葉自体のプロクロニズムとしては、Aufforderungs characterというクルト・レヴインの言葉が、誘引特性(invitation—character, J.F.Brown,929)そして誘発性(valence, D.K.Adams, 1931)と訳されてきたあとに、要求特性(demand-character, Koffka, 1935)という語が提出されたと述べている。ギブソンは、誘発性は観察者(個体)の内部状態の推移によって変化するという一時性(temporality)という点で、観察者の状態に依存しない物理的なアフォーダンスと区別して、それを現象的と(揶揄を込めて)形容している。しかし、ネットワークではより「動物的」な要求特性が発現しやすいと仮定すれば、この概念を再考することも有益に思える。
・譲渡(Yield)
――主にアフォーダンスとプロクロニズムに関わる。ある個体が、差別なく、予め他者に対して自由度を開示される状態もしくはその状態を志向する特質。ネットワークの情報財が物質の希少性が関わる実世界環境とのあいだを往復的に交通する際に、つまり貨幣制に基づく資本経済とネットワークの互酬的贈与経済の連関を設計するうえで重要となると考えられる[★20]。ネットワークでは法的状態としてのオープン・ソース(ソフトウェア)とデジタル著作権表現(Digital Rights Expression)(コンテンツ)が開示する自由度のレベルが想起される。
★20――柄谷行人『トランスクリティーク』(批評空間、二〇〇一年)によるアソシエーションの議論において、彼が「資本と国家に対する内在的な闘争と超出的闘争は、流通過程、すなわち、消費者=労働者の場においてのみつながる」というとき、「国家間の主権の相互譲渡」という超出的次元と同時に「個々人間の権利の相互譲渡」の共時性が問題にされる。柄谷はこのなかでLETSのような地域通貨システム(「内在的」)を想定しているが、鈴木健の提唱するPICSY(伝播投資型貨幣)のようなグローバル電子通貨システム(「超出的」)の本質も考慮するべきだろう。
以上のように個々の項目ごとに具体的な対応例を挙げてきたが、事例はまだ多く関連づけられるものが残っている。いずれにせよ、上位概念としての可塑性を再定義すると同時に、ミクロな具体例を拡充していくことによってのみ、この議論は有意性を持つことができるだろう。
繰り返しになるが、こうした生態的特質を情報空間に翻訳する作業は、実世界環境とネットワークの往復を目的とするためであり、ただネットワーク上において生態的な情報の振る舞いをシミュレートすることには意味はない。これは作品を論じる評価基準につながるかもしれないし、またコミュニティ形成の指標の一つとして考えられるかもしれない。
6 可塑性論の展望
ここまで、オープン性の分節化のために、また同時にオープン/クローズドという二項対立を回避するために、そしてここから少しでも具体的なアイデアが流出することを目的として、可塑性という概念の可能性について足早に、横断的に考察してきた。
実世界環境とネットワークの可塑性が混交する場所はまだ未踏査領域であり、私たちは孤児のようにその空間を漂流している状況である。だからこそ可塑性のマッピングが、まずは個々人によって、批評的に行なわれなければならないだろう。
そのためには商品交換と贈与経済の中間層を規定すること、私有と公有、もしくは所有と喪失の構造的連環を理解すること、そして何よりも過渡期的な分裂を生きながら、往復路を開拓することなど、多くの困難に直面するだろう。しかし、私たちにとって幸いなことに、私たちの包囲環境が内包する可塑性の操作は、共時的に、そして対称的に、共有可能なのである[★21]
★21――本稿には、まだ理論的構築の余地が多く残されており、残念ながら試論の枠は脱していない。筆者はここで論じた観点から実践的な活動を行ない、議論を「可塑的」なかたちで続行していく予定である。その一つの事例がGadago NPOのフレームのなかで筆者が主宰する、アート表現とオープン性の議論と実践の場である「DIVVY/dual」プロジェクトである。
ドミニク・チェン