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あなたをこれまで最も遠くへ誘ってくれたもの(こと)はなんですか?
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自分の体が窮屈に感じるときがある。心に焦りや不安があり、現実と理想のギャップで自分を嫌いになっているタイミングなのだろう。視界に入る自分の手や足でさえ気持ち悪く感じる。そんなときは思考も空回りするし設計も浮かんでこない。私は私個人の生み出したものとして設計をするのではなく、周りの環境に生かされて社会の一員として生きている結果として設計が出てくるような感覚で仕事をしたいと思っている。個の意識が薄らいだとき、遠くの世界ともつながれて気持ちも充実しているような気がする。
思えばそれは中学高校時代の礼拝の時間から始まったのかもしれない。プロテスタントの学校に通っていたので、毎日全校生徒が講堂に集まって礼拝をする時間があった。先生方の説教を聞いている間、たくさんの人たちと時間と空間を共有しながらも思考は自分の内面に向いていて、ここにいながら心はここではないどこかにあるような状態が好きだった。
卒業してから礼拝という形でそういう時間は持てなくなったが、自分を見失いそうなとき程よく街の景色を眺められる場所によく行った。人や車の動きがぎりぎり見える距離、建物の7階くらいから外を眺めるのが好きだ。一人一人が違うことを感じながら一緒に生きている、自分もそんな環境の一部なんだと感じながら自分と向き合う時間を持つと、自然と不安や焦りが和らいでいく。また、人の動きを直接見なくても、海で波を見ているときやバーベキューの火を見ているときにも同じような感覚になっていることに気づいた。自然の作り出す不定形で予測できない動きをしているものを見ていると、”今”や”個”という時間的・空間的限定性から解放されていると感じる。
私は墓地の設計において「個別性・連続性・全体性」をキーワードとしている。人はそれぞれが唯一無二の存在であると同時に周囲の環境との繋がりの中で生きている。自分が生きている時間は限りあるものだが、それは祖先から次の世代へと流れている時間の中にある。〈私〉という固有の存在が、時間的にも空間的にも連続性の中で生きていることを感じられることが重要だと思っている。個が薄らいで周りの世界と連続しているような感覚になる時間、そう感じられる空間を自分が設計する墓地でも実現したい。
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既存のウェブメディアに不満を感じること、またこれからのウェブメディアに期待することはなんですか?
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回答なし
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関野らん 墓地設計家・建築家
SRAN DESIGN Inc.代表。人間の生と死について向き合い、墓地、ランドスケープから建築、インテリアまで幅広くデザインし、100年後までつながる人の生きる場所を模索している。